2014年12月27日 投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2014年12月27日(土)08時52分38秒 大聖人は開目抄の中でこの経文を、 当時の宗教界に引き合わせて詳細に「三類」の正体を暴いていきました。 では、その「三類」の特徴を見ていきたいと思います。 「諸の無智の人の悪口罵詈等し、及び刀杖を加うる者有らん。我等皆当に忍ぶべし」(二二四頁) ――仏法を知らない多くの人々が私たちを非難し、ののしり、刀や棒で打つ者があるでしょう。 私たちは皆、それを必ず耐え忍びます―― これが第一の「俗衆」です。 大聖人はこれを、 「第一の有諸無智人と云うは、経文の第二の悪世中比丘と第三の納衣の比丘の大檀那等と見えたり。 随って妙楽大師は『俗衆』等云々、東春に云く『公処に向かう』等云々」(二二六頁) ――もろもろの無智の人あってというのは、第二の「悪世の中の僧」と 第三の「高僧(位の高い僧)」の教えを信じている大檀那(布施をしている信者)のことである。 妙楽大師はこれを「俗衆」と名づけ、その弟子の智度法師は「役所(役人)に従う」――と述べました。 これを学会に引き合わせると、 組織が打ち出す方針や指導性を、ただ盲目的に信じ、自分では何も考えない、 いわゆる「権威への盲従」とも言うべき無智な幹部や会員のことです。 このような人は、役人(権威者)に弱く、正邪を判別する力がなく、 自らは真実を見極めようとしない。 ただ権威によりかかってそれを利用し、権威主義、形式主義に支配されて、 師匠の指導を忠実に実践している弟子を迫害してしまうのです。 Tweet