投稿者:まなこ   投稿日:2015年 8月11日(火)18時54分56秒     通報
■ 「下方の虚空」とは究極の根源

斉藤: はい。「母なる大地」というイメージは全世界に広くありますが、インドも例外ではありません。大地は万物を生む母であり、女神とされます。

遠藤: 母なる大地を母胎として地涌の菩薩が誕生したということでしょうか。

名誉会長: そこには、「見わたす限りの美しい蓮華が、下方から出現してくる」というイメージがあるかもしれない。ただ、厳密にいうと、地涌の菩薩は、大地の下の虚空にいたとされている。これを考えてみよう。
「大地の下に虚空があるとは、一体、どういうことなのか」と疑問に思う人もいるにちがいない。

遠藤: はい。インドの世界観では、地下の構造はこうなっています.
私たちの住む地面は地輪の表面で、その下には金輪がある。その下には水輪があります。この金輪と水輪の境目が「金輪際」です。

名誉会長: 面白いね。金輪際は「底の底」のほうにあるから、「どこまでも」という意味になり、「断じて」という意味になり、結局、「金輪際、もう付き合わない」(笑い)などと使われるようになったわけだ。

遠藤: その通りです。で、水輪のさらに下に風輪があるとされます。この風輪が、虚空に浮かんでいるとされるわけです。

斉藤: インド人は、『リグ・ヴェーダ』の時代から「万物の根源は何か」と種々、考えました。
ある哲学詩では、創造主が世界を創造するに当たって、「大いなる虚空に水を母胎として置いた」とされます。水よりも、虚空がより根源だと考えたのです。後の注釈書では、「虚空は究極の根源」とされており、虚空が「梵(プラフマン)」として崇拝されるようになっています。
これから考えると、水輪よりも下に風輪があり、その下に虚空があるとするのは、「虚空が、水や風よりも根源である」ことを表現していると思われます。
こういう文化伝統から見ても、地涌の菩薩がいた「下方の虚空」とは、もっとも下にある虚空で、根源の中の根源といえるのではないでしょうか。

遠藤: 「根源中の根源」からの誕生と考えれば、まさに「法性の淵底・玄宗の極地」(御書 p563)に通じるかもしれません。もちろん、これらだけから論じるわけにはいきませんが。

名誉会長: 地涌の菩薩は寿量品の本仏の「久遠の弟子」である。その久遠の弟子が、根源の中の根源から誕生してくるということだね。もちろん「法性の淵底・玄宗の極地」とは根源の「真理」であり、南無妙法蓮華経の「一法」です。
そのうえで、涌出品で説く「下方の虚空から生じる」とは、空間的に根源を示し、「久遠以来の教化」とは、時間としての始源を示していると言えるかもしれない。
地涌の菩薩の出現とは、宇宙と生命の根源のドラマなのです。つまり、本門に秘められた法が根本中の根本であることを示唆していると言えるでしょう。

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涌出品から
「是の如き諸子等は 我が道法を学習して 昼夜に常に精進す 仏道を求むるを為っての故に 娑婆世界の 下方の空中に在って住す 志念力堅固にして 常に智慧を動求し 種種の妙法を説いて 其の心畏るる所無し」(法華経 p487)

(弥勒菩薩に対して釈尊が地涌の菩薩をたたえ、語る)このような多くの仏子たちは、私の修行・実践を学び習って、昼夜に常に精進してしる。それは仏道を求めるための故である。娑婆世界の下方の虚空の中に住している。彼らは、仏道を志し念ずる力が堅固であって、常に智慧をたゆまず求めて、種々の妙なる法を説いて、その心には畏れる所がない。────────────────────────────────────────