投稿者:まなこ   投稿日:2015年 8月 7日(金)12時54分52秒     通報
※今朝の投稿と順番が前後したので訂正しました。申し訳ありません。
§従地涌出品§(1)
動執生疑 —- 境涯革命への大いなる轟き
■ 勇者の総立ちで時代に動執生疑を

斉藤: 明年(1997年)は「新世紀へ前進の年」です。いよいよ、二十一世紀は目前です。私たちの語らいも本門に入ります。決意を一新して取り組んでまいります。

名誉会長: これからが本番です。広宣流布も。教学運動も。我らの底力を発揮するのも、これからです。これからが絢爛たる「本門の中の本門」の時代です。戦いを開始しよう。この連載も、いよいよ力を入れたい。諸君とともに、私は、仏法の真髄を語りに語っておきたいのです。

遠藤: 迹門から本門ヘ —- 。そこには、劇的な転回があります。というのも、本門に入ると、それまでの“常識”が大きく覆されるからです。その象徴となっているのが地涌の菩薩ではないでしょうか。

須田: 地涌の菩薩が出現するや、虚空会にいた菩薩たちは、動揺の余り、疑いすら起こします。いわゆる“動執生疑”(執着を動じ疑いを生ず)です。

名誉会長: 彼らの驚き。衝撃。疑問。それは、爾前・迹門の教えを信じてきたすべての仏教者の気持ちを代弁したものと言ってよい。
動執生疑とは、それまでの信念が大きく揺らぐことです。いわば既成の世界観が根底から打ち破られるのです。人々が安住している価値観を、劇的に打ち壊すことによって、釈尊の本地 —- 真実の境涯が説き明かされていく。

須田: 「哲学は驚きから始まる」と言った人がいます。またベルクソン(フランスの哲学者)も、「精神は驚きから驚きへと進む」と書いています。その意味で“動執生疑”は、仏教思想の大転換を促す“大いなる問い”であったと言えるかもしれません。

名誉会長: それは深くとらえると、人類の生命観、人生観、世界観、社会観を一変させる精神革命なのです。この涌出品と寿量品に秘められている意義を掘り下げていくことは、岐路に立つ現代文明の病根に抜本的な治療を加えることになる。