投稿者:KS部OB    投稿日:2015年 8月 4日(火)15時22分38秒     通報
【7・3記念代表協議会】(2006・7・8)

ご多忙のところ、万障繰り合わせて、ご参集くださり、心より御礼申し上げます。
きょうは、常日ごろから、陰に陽に、創価学会を護り、支え、広宣流布を推進してくださっている大切な功労者の代表にお集まりいただきました。本当にありがとうございます。  また、学会のため、同志のため、暑い中、懸命に動いてくださる役員の皆さま方にも深く感謝申し上げます(大拍手)。

尊き同志の奮闘のおかげで、創価学会は、ますます勢いを増し、隆々と、また堂々と、仏意仏勅の広宣流布を全世界に広げている。
全国の同志の皆さま、毎日の折伏・弘教の大闘争、本当にご苦労さまです(大拍手)。
折伏は難事中の難事である。なかなか思うような結果が出ず、苦労している人もいるであろう。
しかし、大変だからこそ、成長できる。人間革命できる。実ったときの喜びも大きい。
「一文一句なりともかた(談)らせ給うべし」(御書1361ページ)とは御本仏の仰せである。妙法を語った功徳は無量無辺なのである。
どうか、「地涌の菩薩」の使命に燃えて、互いに祈り合い、励まし合い、喜び合いながら、縁するすべての人々に、希望と勝利と幸福の種をまいていっていただきたい。
最後は「信心」で勝つのである。「執念」で勝つのである。「団結」で勝つのである。
「創価学会、万歳!」 「尊き全同志、万歳!」と天高く叫びつつ、最大の感謝を込めて、記念のスピーチを残させていただきたい(大拍手)。

「太陽と歩調を合わせる活発でしなやかな思考の持ちぬしにとって、一日はいつまでも朝なのだ」(酒本雅之訳『ウオールデン』ちくま学芸文庫)
これは、私が若き日から親しんできたアメリカ・ルネサンスの思想家ソローの名著『ウォールデン(森の生活)』の一節である。
いわんや、妙法とともに生きゆく人生は、わが生命に、常に、久遠元初の旭日を昇らせながら、永遠に、常楽我浄の希望の朝を開いていくことができる。佗しき絶望の闇は絶対にない。

それは、ちょうど50年前、1956年(昭和31年)の7月8日のことである。その日は、日曜日であった。
あの「大阪の戦い」の指揮を執り、私は祈り抜き、戦い切って、関西本部で決戦の朝を迎えようとしていた。
早朝5時ごろ、静かな館内に電話のベルが鳴り響いた。
私は、東京におられる戸田先生からの電話であると直感した。
居住まいを正して受話器をとると、先生の声である。
「関西はどうだい?」
私は即座に、おこたえした。
「こちらは勝ちます!」
瞬時の師弟の呼吸であった。
「そうか。勝てるか。勝ってくれるか。うれしいな。うれしいな」
先生が命の底から喜びを露にされた、あの声の響きを、私は今もって忘れることができない。
そして、愛する関西の同志とともに、私は勝った。“まさか”を実現したのである。
真の師匠は、弟子に勝利の道を示してくださる。いな、師弟に徹し抜く中にこそ、「必勝の力」は、滾々と湧き出ずるのだ。仏・菩薩、諸天善神の絶対の加護も現れるのだ。

関西の指揮は、戸田先生から託された戦である。
当時、私は28歳。自分がうまくやろうとか、偉くみせようとか、そんな心は微塵もなかった。
「ただ、先生に勝利のご報告をしたい」 ── それだけであった。
師弟こそ、無限の「智慧」と「勇気」と「生命力」の源泉なのである。
戸田先生が事業に失敗し、莫大な負債を抱えたときも、その返済のために最後の最後まで働いたのは、私である。
すべてをご存じであられた先生は、「あまりに大作を働かせすぎてしまった。これでは大作は、三十まで生きられない。申し訳ないことをした」と落涙されたのである。
ともかく、鋭い先生であった。厳しい厳しい先生であった。「コトッ」という足音一つだけでも、すべてを察せられた。その人が何を考え、何をしようとしているのか。心中深く見抜いておられた。
すべてを分かってくださる師匠がいる。これほどありがたいものはない。それが創価学会の師弟なのである。

牧口先生、戸田先生 ── この「先生」という言葉に、甚深の意味が込められている。
「先生」という2文字の中に、師弟の誓いがある。師弟の祈りがある。師弟の勝利がある。
両先生が、会員を守り、学会を守るために、陰で、どれほど骨を折り、心を砕き、命を削っておられたか。
それが初代、第2代の戦いであり、後継を託された第3代の私の実践にほかならない。

戸田先生の時代と比べると、今は、あらゆる面で恵まれている。会館は各地にあり、力ある人材がそろっている。
そのなかで、幹部が惰性になって、闘争精神を忘れ、増上慢になって、師弟の心を忘れるようなことがあっては、敗北は避けられない。
真の弟子ならば、断固として勝って、師匠に「勝利の栄光」を捧げゆくことである。それが、報恩の真髄であるからだ。
「勝てるか?」
「勝ちます!」
勝利の源泉となりゆく、この師弟の朝の深き心の呼吸を、私は後継の青年たちに伝えておきたい(大拍手)。

アメリカの大詩人ホイットマンは、詩集『草の葉』の最初の詩で晴れ晴れと宣言した。
「『新しい人間』をわたしは歌う」(酒本雅之訳『草の葉』岩波文庫)と。
『草の葉』は、私も青春時代、愛読してやまなかった詩集である。
「情熱、脈搏、活力、すべてにおいて測りしれぬ『いのち』をそなえ、奔放自在な振舞いができるよう神聖な法則どおりに造られた、陽気で『新しい人間』をわたしは歌う」(同)
高らかに「新しい人間」を歌ったホイットマン。
そして私たちも今、「新しい時代」を担う「新しい人間」をつくっている。これほど誇り高き運動はない。
ゆえに、まず自分自身が生まれ変わって、「新しい人間」となり、「新しい前進の波」を起こしていくことだ。
そして「新しい人間」を育て、「新しい勝利のスクラム」を広げていくことだ。

「新しい人間」の進む道に、圧迫があるのは当然である。
当初、ホイットマンの詩集の評判も、散々であった。詩集そのものを火に投げ込んだ人もいたという。
「豚が数学をわからないくらい、ホイットマンは芸術をわかっていない」とまで罵倒した雑誌もあった。〈長沼重隆訳『草の葉』(東興社)所収の年譜から〉
では、かの詩人は、意気消沈しただろうか?
とんでもない!
ホイットマンは、いよいよ朗らかであり、ますます意気軒高であった。
「攻撃」には「反撃」である。「挑戦」には「応戦」である。
1年後、彼は、新たな詩を加え、『草の葉』第2版を世に問うた。
この時に収録された「大道の歌」で、彼は快活に歌った。
「わたしは行きながらわたし自身と諸君のために仲間をふやそう」(富田砕花訳『草の葉』第三文明社)
「誰がわたしを拒否しようと、そんなことはわたしを煩わしはしない」(同)
学会精神にも通ずる一節である。
だれがなんと言おうと、我々は、誇らかに広宣流布という人類救済の大道を進む。にぎやかに行進しながら、志を同じくする仲間を増やし、善の連帯を世界に広げていくのだ。
ホイットマンの『草の葉』は、版を重ねるごとに新たな詩を加え、全米へ、さらに世界へ、「仲間」を拡大していった。
「彼の声は、アメリカ国民の偉大な声であり、かつてアメリカがもった最も偉大な声です」と、インドの詩聖タゴールも心から賞讃を惜しまなかった。〈『タゴール著作集 別巻 タゴール研究』(第三文明社)所収、ロケナート・ボッタチャルジョ「ホイットマンとタゴール」森本達雄訳〉

私も25年前、青年たちとともに、ニューヨーク郊外にあるホイットマンの生家を訪ねたことが懐かしい。
その後、「昇りゆく太陽のように」と題し、ホイットマンを讃える詩も詠んだ。
〈1992年のホイットマン没100周年を記念して詠んだもの。名誉会長は、同年3月、アメリカのカムデン市で行われた100周年記念祭にホイットマン協会から招聘を受けた。記念祭の席上、名会長の詩が朗読された〉
昨年秋には、『草の葉』発刊150年を記念して、マサチューセッツ州で行われた会議でも、この私の詩が朗読されたと、うかがっている。
先日、お会いした、アメリカ・エマソン協会のサーラ・ワイダー会長も、その会議に出席されていた、お一人である。会長は詩の研究の大家でもある。
〈ワイダー会長は、名誉会長の詩について、こう語っていた。
「池田SGI会長の詩に触れて、私は、詩の重要さは、人々の心を結びつけることにあるのだと、改めて学びました」
「孤立した個ではなく、関係性のなかでこそ、すべての個が鼓舞され、力を持ち、意味を持つ ─
─ これこそが、ホイットマンの詩に脈打つ重要な精神でもあります。
池田会長は、その精神を、ご自身の中に蘇生させ、それを人々へ伝えゆく、果てしなき使命の旅路を歩まれています」
母を亡くした悲嘆のさなか、ワイダー会長は、名誉会長の詩によって、深く強く励まされたという〉

ワイダー会長はインタビューで、「英語の『ポエム(詩)』の語源は、ギリシャ語にあるといわれます。それは“創り出す”“行動に移す”という意味です」と語っておられた。
詩の本質には、「創造」そして「行動」という要素がある。
我らは、縦横無尽に、価値創造の行動に打って出て、人類を結び合わせていく壮大な希望の叙事詩を残してまいりたい(大拍手)。

法華経の信解品では「四大声聞」と呼ばれる釈尊門下の長老たちが、未曽有の大法を聞いて、それまでの惰性から豁然と目を覚ましていく生命の劇が描かれている。
長い間、修行してきたという慣れ。もはや、年老いたという疲れ。それなりに境涯を開いたという傲り ── 。
そうした命の無明を打ち破ったのが、師である釈尊の師子吼であった。
彼らは、大仏法の真髄の計り知れない奥深さに目を見張り、再び求道の心を燃やし始めた。その生命は、いまだかつてない歓喜に包まれ、躍動していった。
経典では、その歓喜が「無上宝聚 不求自得(=無上の宝聚は求めざるに自ら得たり)」と表現されている。
我々もまた、先輩になり幹部になっても、新たな決意で立ち上がり、「人生の勝利の総仕上げ」へ、いな、「三世永遠の勝利の行進」へ、新たな一歩を踏み出すのだ。
師の大恩への尽きせぬ感謝を込めて、師弟不二の心で、後に続く無数の人々のために道を開いていくことである。
戸田先生は、いつもこう言われていた。
「若い人のために、学会はあるのだ。
先輩は、後輩にヤキモチを焼いたりしないで、成長を祈っていけ! 社会のため、日本のため、人類のために活躍する若い人を育てるのだ。
これが、学会の目的である」
創立80周年へ一段と総力をあげて、「新しい人材」を育て、「新しい創価学会」をつくり、「新しい広宣流布」の時代を構築してまいりたい。

古代ギリシャの哲学者アリストテレスは「幸福は遊びのうちには存在しない」(加藤信朗訳『アリストテレス全集13 ニコマスコス倫理学』岩波書店)と言った。また、”幸福は一種の活動である”という一点を強調している。
さあ「行動」しよう!
広宣流布のために!
広宣流布の活動は、自他ともに、真実の崩れざる幸福をもたらす活動である。

夏は人材育成の季節である。
これまでも私は、各地の研修道場で、未来を担いゆく友と、行学錬磨の汗を流してきた。
湿原が広がる大自然の宝庫 ── 雄大な別海町の北海道研修道場。
滝があり、緑光る奥入瀬の東北研修道場。
また、九州・霧島の研修道場(現・21世紀自然研修道場)で、”火の国”の若人と語り合ったことも忘れられない。
日本だけではない。
由緒あるイギリスのタプロー・コート総合文化センターをはじめ、世界各地に、人材育成の城がそびえ立っている。
今こそ、新しい歴史をつくる時だ。「人をつくる」ことが「未来をつくる」ことである。

7月8日は女子部の「白蓮グループの日」 である。
白蓮グループは1966年の7月8日に結成され、今年で40周年を迎えた。妻とともに、心からお祝い申し上げたい(大拍手)。
白蓮グループは、諸行事の運営を陰で支える尊き存在として、また人材育成の組織として、偉大な歴史を刻んでくださった。
まさに創価の華である。すがすがしい姿を、皆が憧れ、讃えている。
青春時代、白蓮グループで勇んで訓練を受けた方々は皆、立派な女性指導者に育っている。見事な伝統ができあがった。
ご存じの通り、妙法は白蓮(白蓮華)に譬えられる。
日蓮大聖人は、南条時光の母にあてた御手紙で、こう仰せである。
「妙法蓮華経というのは、蓮に譬えられています。天上界における摩訶曼陀羅華、人間界における桜の花、これらがめでたい花ですが、これらの花を法華経の譬えとしては、仏は取り上げられることはありませんでした。
すべての花のなかで、とりわけ、この蓮の花を法華経に譬えられたことには、わけがあります」(御書1580ページ、通解)
そして、その理由について、蓮華は他の花々と異なって、花が咲くのと実がなるのが同時だからだと仰せである。
つまり、花が咲いてから実がなる ── 善根を積んでから、その後に成仏する、というのではない。
大聖人は,「法華経というのは、手に取れば、その手がただちに仏になり、口に唱えれば、その口がそのまま仏になります」(同ページ、通解)と仰せである。その甚深の意義を、「白蓮」が象徴しているのである。
さらに、大聖人は結論として、「この妙法を持つ人は、百人は百人すべての人が、千人は千人すべての人が、一人も欠けずに仏になる」(同ページ、通解)と強調しておられる。
皆が成仏できる。
だれもが一人も残らず、自分らしく勝利し、最高に幸福になっていける。それが妙法の偉大さである。
今、白蓮グループをはじめ、わが女子部の皆さま方は、婦人部の方々と一体になって、拡大の波動を広げておられる。
これこそ、五濁悪世の末法に、清浄無比なる幸福と希望の人華を咲かせゆく聖業であると讃えたい(大拍手)。

また、有名な「当体義抄」で、大聖人はこう仰せである。
「所詮、妙法蓮華の当体とは、法華経を信ずる日蓮の弟子檀那等の、父母から生じた肉身そのものをいうのである。
正直に方便の教えを捨て、ただ法華経を信じ、南無妙法蓮華経と唱える人は、煩悩・業・苦の三道が、法身(=仏が証得した真理)・般若(=真理を悟る智慧)・解脱(=法身・般若の二徳が一如となり、生死の苦界から脱却した状態)の三徳と転じて、三観(=三種の観法。観法とは法を観ずること)・三諦(=仏が悟った究極の真理を三つの側面から捉えたもの)が、そのまま一心に顕れ、その人が住するところは常寂光土となるのである」
「法華経本門寿量品の当体蓮華の仏とは、正法を信受する日蓮の弟子檀那等のことである」(同512ページ、通解)
すなわち、大聖人に直結して広宣流布へと戦う学会員こそが、尊極の「妙法蓮華の当体」なのである。
そして、その一人ひとりが、凡夫の「三道」を仏の「三徳」へと転換し、今いる場所を、常寂光土として光り輝かせていくことができる。
これが、大聖人の御約束である。

さらに、日蓮大聖人は、健気な信心を貫く門下の日女御前に対して、こう仰せである。
「法華経宝塔品の儀式には、多宝如来、釈迦如来、十方の諸仏、一切の菩薩が集まられたのである。
その宝塔品が今、どこにあられるかと考えてみると、それは、日女御前の胸中、八葉の心蓮華の中にこそあられると日蓮は見るのである」(同1249ページ、通解)と。
仏法は抽象論でもなければ、観念論でもない。現実に広宣流布のために真剣に戦う創価の同志こそ、全宇宙の仏菩薩の智慧と力を備えた、何よりも気高い妙法蓮華の当体なのである。
どうか皆さまは、この最高無上の生命の誇りと、無量無辺の大福運を深く強く自覚して、いかなる試練も、断固として勝ち越えていっていただきたい。

見栄を張ったり、虚栄でわが身を飾っても、真実の幸福は決して手に入らない。
イギリスの劇作家シェークスピアも、地位や富がもたらす一時の栄華について、「その華やかさも、地位にまつわるきらびやかさも、うわべだけの親友同様、実体のない虚像にすぎないのだ」と綴っている(小田島雄志訳「アテネのタイモン」、『シェイクスピア全集Ⅶ』所収、白水社)。
広宣流布に生き抜く創価の女性こそ、真実の「幸福博士」である。
とりわけ白蓮グループや婦人部の香城会など、陰で学会の前進を支えてくださっている方々の福徳は、はかりしれない。
「陰徳あれば陽報あり」(御書1178ページ)の原理のまま、偉大なる功徳に包まれゆくことは間違いない。
また、学会のリーダーの皆さま方は、こうした方々の尽力を決して当たり前と考えてはならない。どうか、その功労を最大に讃え、深く感謝していっていただきたい(大拍手)。

私は、広宣流布に青春のすべてを捧げた。そして今日の学会をつくりあげてきた。
高い山には烈風が吹く。世界一の平和の大師匠である戸田先生を、偉大なるがゆえに嫉妬し、歪め、悪罵するマスコミもあった。
いわれなき中傷を目にするや、私は「行ってきます!」と敢然と飛び出した。徹底して抗議し、真実を訴えた。
そんな私を、先生は温かく、ねぎらってくださった。美しい劇の一幕のようであった。
師弟不二の道を進む限り、行き詰まることは絶対にない。
ここで、戸田先生のご指導を拝しながら、未来のために、何点か確認し合っておきたい。
第1に、戸田先生が最も厳しかったのは、「恩知らず」に対してであった。
先生は、峻厳に言われた。
「恩を仇で返す者は、必ず地獄に堕ちる。
そしてまた、傲慢な恩知らずほど、鬼畜の如き卑しい人間はいない」
「学会の支えのおかげで、それなりの社会的地位を持てるようになりながら、同志を見くだす。また、学会でお世話になった恩を忘れて、同志を守ろうとせず、反対に利用するだけ利用する。こういった人間は、本当の異体同心ではない。学会の同志ではない」
「恩知らずがそのままいると、学会が食い殺される。これは、どこの団体も同じだ」
「一生、あのずる賢い、畜生の如き恩知らずを許すな! 叩き破るまで戦え!」
戸田先生は、日蓮大聖人が南岳大師の言葉を引かれた御書を、しばしば拝しておられた。
「もし菩薩がいて、悪人をかばって、その罪を罰することができず、そのために悪を増長させ、善人を悩乱させて正法を破壊させるならば、その人は、実は菩薩ではない」(御書1374ページ、通解)
まったく、この仰せの通りである。
悪を見ながら戦わない。正義のために戦わない人間は、結局は、自分が悪と同じになってしまう。
悪に対しては、徹して責め抜くことだ。それが慈悲に通ずる。

第2に、「幹部は絶対に威張らない」ということである。
先生は言われた。
「幹部は、会員や後輩に仕え、尽くしていく存在である。威張って会員を苦しめるようなことは、絶対に許さない」
「本当の立派な信心とは、後輩を心から尊敬し、大事にすることである。大切な学会員を、下に見るようなことは断じてあってはならない」
「ぼやぼやして、動かずにいて、戦いの邪魔になる幹部、また増上慢になり、威張り散らして、皆の迷惑になる幹部は、いなくなってもらったほうがよい」
あのロシアの大文豪トルストイも、こう綴っている。
「人間てものは威張り出すが最後、すぐに臆病がさして来るもんだ」(米川正夫訳「闇の力」、『トルストイ全集第13巻』所収、岩波書店)
文豪が喝破した通り、「威張り」と「臆病」は、表裏一体なのである。

さらに第3として、戸田先生が強く言われたのは、「傲慢な幹部は、厳しくただせ」ということである。
先生は、一段と強く言われた。
「戦って戦って戦い抜いた人は、必ず賞讃せよ! 一生涯、また一家も、子孫までも賞讃せよ!
反対に、戦うべき立場にありながら、敵を前にして戦わない、ずるい人間は必ず罰せよ!悪事をなした者には自らの行動の報いを受けさせよ!」
「あまり、皆に守られ過ぎて、おかしくなっていく奴らを、絶対にのさばらせてはならない。
権力は魔性であるからだ」
戸田先生は、民衆のため、社会のために闘う、有為な指導者の出現を願っておられた。それだけに、同志のおかげで偉くなりながら、堕落した人間には厳しかった。

中国の「ペンの闘士」巴金先生とは、私も4度にわたり、忘れ得ぬ出会いを重ねた。
その生涯のなかで、絶えずペテン師を糾弾してきた巴金先生は、こう指摘する。
だれかがペテン師を軽視したり、“たいしたことはできない”と考えても、「ペテン師の方ではひそかに毒気を発散し、影響力を広げる」。
そして追放すべきペテン師に”養分を与え、成長させている”のは、ほかならぬ「だまされる人たち」なのだと。
ゆえに、必要なことは何か。それは、今まさに、ペテン師どもにだまされている人々に向かって、「大喝一声、『目を大きく見開け』と怒鳴りつけるべきなのだ!」。
〈石上韶訳『巴金 真話集』『巴金 無題集』筑摩書房を参照〉
文化大革命の迫害を耐え抜いた、巴金先生の血涙の叫びである。
ペテン師や、忘恩の裏切り者の悪の根を断つために、正義の声を、いよいよ張り上げていかねばならない。

そして第4に、戸田先生が常に訴えられたのは、「青年を伸ばす」ことである。青年の力を最大に発揮させることである。
先生はリーダーに対して、繰り返し言われた。
「創価学会を愛し、そして青年の力を存分に養ってほしい」
「青年を、青年時代のうちに徹して訓練することだ」
そして青年に対しては、このように大きな期待を寄せておられた。
「舞台を大きくもつことだ。正義のため、不幸の人びとのために。青年期の奮闘は、やがて、悔いなき財宝に変わろう」
「青年の成長なくして広宣流布もない、時代の未来も開けない」
「上からの指示で動くのではなく、青年が、下から上を動かしていけ」
「悪い幹部も出るにちがいない。口のうまい人、学会を利用して自分の利害を考える人等々 ── 常に青年は、濁ったそれらの人々を見抜き、戦っていかねばならない。
そうでなければ、正法の永遠性も、信心の正しさも証明できなくなってしまうからである」
私は、この恩師の心のままに、万年の広宣流布の道、永遠の勝利の道を開いてきた。

最後に第5は、「女性を大事にすること」である。
先生は言われた。
「女性の意見を最大に尊重せよ。女性は、ウソやごまかしを見破る鋭い感性を持っているからだ。女性を大事にしないところは必ず衰退する」
「壮年の幹部は、婦人部、女子部を、絶対に叱ってはならない」
男女同権である。婦人部や女子部を下に見るような幹部がいたら、先生は厳しく戒められた。
戸田先生が繰り返し拝された御聖訓が、四条金吾の夫人である日眼女への一節である。
「この法華経だけには、『この経を受持する女性は、他の一切の女性にすぐれるだけでなく、一切の男性にも超えている』と説かれている」(御書1134ページ、通解)
妙法を受持し、広宣流布という崇高な人生を歩む女性は、何と尊い存在か ── 御本仏は、女性門下を心から賞讃されたのである。
また先生は、婦人部に言われた。
「信心をやりとげていけば、家庭も、すべて幸福になるに決まっている。信心強く、自らの生命に生き切って、幸福になり切っていけばいいではないか」
さらに女子部には、「『自分観』『人生観』『社会観』『宇宙観』 ── この四つをきちっとまとめているのが仏法なのです」とも教えておられた。
女子部は「教学で立て」、そして「一人ももれなく幸福になれ」と祈り、訴えられたことは、ご存じの通りである。
ともあれ、「広宣流布は女性で決まる」。
これが、戸田先生の提唱された合言葉であった。

創価大学の「文学の池」や、東西の創価学園の蓮池などでは、毎年、この季節に、蓮や睡蓮が、素晴らしい花々を咲かせている。
関西校には、「睡蓮」の絵で有名なフランス印象派の巨匠モネの旧宅から株分けされた、ゆかりの睡蓮も薫っている。
先日、創価大学や関西校の蓮保存会等の皆さんが、丹精込めて育てた蓮や睡蓮を届けてくださった。それはそれは美しかった。
朝になると、規則正しく花を開き、午後には花を閉じる。
その不思議な天然のリズムを目の当たりにしながら、さまざまなことを勉強させていただいた。
そして、感謝を込めて、歌を贈らせていただいた。

蓮の華
深く見つめて
思うらむ
因果倶時なる
法理は同じか

仏法に
深き縁の
蓮の華
花の王者か
深き生命よ

法華経では、地涌の菩薩のことを「如蓮華在水」(=蓮華の水に在るが如し)と説かれている。
蓮華は、泥の中から咲くが、泥水には染まらない。なぜ、蓮華は泥水に染まらないのか。
それは、葉の表面が、細かい毛のような突起で覆われているからである。
葉の上に落ちる雨水なども、はじかれて、水滴が美しく輝く。
「地涌の菩薩」もまた、世俗の汚濁に染まらず、高潔な使命の人生を生き抜くのである。
さらに、蓮華の固い種は、数千年も生き続けることができるという。
関西校や千葉の茂原文化会館には、2000年の眠りから花を咲かせた、かの「大賀ハス」が育っている。
まことに深遠なる生命力である。

蓮は、インドの国花でもある。
インド国立ガンジー記念館のラダクリシュナン前館長は、「灯台」誌上に連載中の対談(「人道の世紀へ」)で、創価大学の蓮について語っておられた。
「私は、これまで、創価大学を訪問し、『文学の池』に咲くさまざまな蓮の花を見るたびに、大きな興奮を味わい、啓発を受けてきました」
「蓮華は、“純粋さ”と、周囲に影響されずに無垢な状態を保つ”強固な決意”を連想させる花です。
ある意味では、人生において誰もが堅持すべき多くの大切な資質を、私たちに示していると言えますね」と。
わが女子部の皆さんの青春も、まさに白蓮のように毅然と、何ものにも負けず、「勝利の華」を咲き誇らせていただきたい。
その願いを込めて、現代タイの著名な女性詩人チラナン・ピットプリーチャーの詩を、白蓮グループと出身者の皆さま、そして創価の女性の皆さま方に贈りたい。

「花、花は咲くでしょう
純真で勇気ある花が心の中に
白い花、それは青年の憧れ
断固たる革新の信念に火をつけて
学び知り
欺瞞と戦い
前進しよう、民衆の中へ」

「花は咲いてこそ価値がある
ゆっくりと、しかし永く咲け
ここに、他の場所にもさわやかな花、みんなのために」
(岩城雄次郎編訳『タイ現代詩選』大同生命国際文化基金)

私は、タイのプーミポン国王と3度お会いした。国王と私は同い年であり、国王が「同じ年齢であるから、“同い年”として励まし合えることがうれしい」と語られたことも懐かしい。

先日(7月3日)は、タイ国立メージョー大学の先生方をお迎えした。〈同大学から名誉会長に「名誉管理学博士号」が授与された。これは、世界の大学等からの198番目の名誉学術称号となった〉
タイ創価学会は、タイ広布45周年の本年、麗しい異体同心の団結で、素晴らしい模範の前進を続けておられる。
首都バンコクなど、各地で行われた「法華経 ── 世界の精神遺産」展をはじめ、さまざまな文化行事を通して、一段と大きく信頼を広げてこられた。
メージョー大学のテープ学長も、お会いした際、タイ創価学会を「タイにおいて人間的価値を創出する」組織として、深い共感をもって讃えておられた。
わが創価の世界に寄せられる数々の顕彰、讃嘆の声は、すべて皆さま方一人ひとりに対するものである。
そして皆さまの子孫末代まで、栄誉を受けられるという証である。それが妙法の世界である。
御書には、「悪知識を捨てて善友に親近せよ」(御書1244ページ)とある。
いかにして、善友と交わるか。正義の人と友情を結ぶか。これが、幸福を築く重要な鍵である。

またテープ学長は、同大学にある“労苦は人を怠惰にしない”との言葉が刻まれた像を通して、こう語っておられた。
「この像は、『労苦は人を強くする』いう意義で、学生の根本です。
労苦は責任感を生み、人の信頼を生みます。労苦があってこそ、勝利があるのです」
正しい哲学である。いわんや、広宣流布のための労苦は、一切が無量無辺の大福運となって、生々世々、わが身を飾る。
〈学長は、次のようにも語っている。
「池田先生が世界から慕われるのは、労苦を惜しまない人だからです。先生が世界の多くの教育機関から名誉学位を贈られているのは、そのことの証明にほかなりません。
先生は、青年時代から78歳の現在まで労苦をされ続けています」
「私はこの池田先生と同じ精神で、学生を育てていきたいと思っています」〉
20世紀のタイの思想家ルワン・ウィチット・ワータカーンは、語っている。
「確信すべき原則の一つは、我々が先に音を上げてしまわない限り、不運は、我々を打ち負かすことはできないということである。
強い人間は、不運に対しても『束になって襲いかかって来い』と立ち向かい、精神の力で、これを撃退する。このような強さを持つ人間にとって、不運は存在しない」
私たちにとっては、「信心」こそ、究極の「強さ」である。

この7月は、日蓮大聖人が「立正安国論」をもって、時の最高権力者を諫暁された月である。
それは、文応元年(1260年)の7月16日であった。
その700年後の昭和35年(1960年)の7月16日、私は、戦争で最も苦しめられた沖縄に第一歩をしるした。この日を、わが愛する沖縄の同志は、「沖縄原点の日」として大切にしてくださっている。
翌7月17日には、沖縄支部が晴れ晴れと誕生した。
沖縄の同志は、平和の楽土を築きゆく、立正安国の戦いに、決然と立ち上がってくださった。
その大いなるうねりのなかで、2カ月後の9月に誕生したのが、私も大好きな「沖縄健児の歌」であった。
「命をかけて ひと筋に 仏意を奉じ 示さんと」
沖縄の友は、この歌を高らかに歌いながら、あらゆる困難を乗り越えて、広宣流布の道なき道を開いてくれた。
その足跡は、世界の宗教史のなかでも、奄美とともに、燦然と輝きわたる偉業であると、著名な宗教社会学者も讃えておられる。

翌年の昭和36年には、私が初のアジア訪問に出発する1月、それに合わせて、沖縄の同志は東洋広布の暁鐘を打ち鳴らすがごとく、日本一の折伏の金字塔を堂々と打ち立ててくださった。
そして、45年後の今再び、「沖縄原点」の7月から、「沖縄健児」の9月へ、にぎやかに、勝利、勝利の前進をされている。
世界最初の広宣流布のモデル地域 ── これこそ沖縄の誉れであり、使命である。
美しい海を望む沖縄研修道場も、世界平和へのメッセージを発信する城として、地域の人々にも愛され、親しまれている。私も何度も訪れ、思い出は尽きない。
私は心から、「沖縄健児、万歳!」「創価の琉球家族、万歳!」と叫びたい。
暑い中、体調を崩されないよう、ご一家のご健康とご繁栄を心から祈っています(大拍手)。

思えば、「立正安国論」も、「屡談話を致さん」(御書17ページ)と仰せの通り、「対話」の形式で論が進められている。
この大聖人が示された通りに、「立正安国」すなわち「世界平和」への「対話の道」を歩み抜いてきたのが、わが創価学会である。
「第三文明」誌上で、1年半にわたって連載されてきた、ドゥ・ウェイミン博士と私の対談は、この9月号で最終回の予定である。
おかげさまで、連載中、各界の識者からも、多くの反響をいただいてきた。
博士はハーバード大学の教授で、中国思想研究の第一人者であられる。
ハーバード大学では、私は2度、講演させていただいた。〈1991年9月と、93年9月〉
今も、世界各地から、講演の要請をいただいている。
ドゥ博士と私の対談は、「対話の文明 ─ 平和の希望哲学を語る」と題して進められてきた。
混迷と混沌の度を増す現代世界にあって、「対話の文明」の構築こそ、不可欠かつ緊急の課題である。
その「対話の文明」とは、決して遠くにあるのではない。
それは、身近な隣人の方々と、胸襟を開いて向き合い、語り合っていくことから始まる。
そして、誠実に、粘り強く、対話を貫き、新たな価値創造の道を、共に模索し、共に進んでいくことである。
これが、私たちの対談の、一つの大きな結論であった。
ドゥ博士も、「それこそが、世界の多くの人々が願っていることです。今こそ、新たな対話の時代の潮流をつくらねばなりません」と強く訴えておられた。
この世界の知性が求めてやまない「対話の道」を、日々、現実に切り開いておられるのが、わが学会員の同志の皆さま方である。
皆さまが進めておられる広宣流布の対話には、納得があり、共感がある。慈悲があり、尊敬がある。
誠実があり、忍耐があり、勇気がある。正義があり、哲学があり、信念がある。
そして、共に幸福と勝利に向かっていこうとする希望があり、向上がある。
まさに、皆さま方こそ、「対話の文明」を生き生きと創出されゆく、人類先駆の開拓者なのである。
どうか、これからも、対話の達人となって、わが地域に、そして縁する人々に、友情と理解の対話を、勇敢に、朗らかに広げていっていただきたい。(大拍手)
〈ドゥ博士は、対談の結びに語っている。
「私は、池田会長こそ、現代世界における最も熟達した対話の達人であると思っています。
会長は、あの有名なアーノルド・トインビーとの対談以来、半世紀にわたり、“相手の話を深く聞き取る”という技術を備えた対話を通し、世界平和を促進する闘士として活動してこられました。
世界のあらゆる地域の多くの識者たちとの対話の出会いを通して、知性の地平を大きく広げ、現代の幾多の思想家たちに、深く批判的自己省察をする機会を与えてこられました。
世界の精神界への池田会長のご貢献は、極めて大きいものがあります」〉

世界の知性の箴言を贈りたい。
アメリカの大哲学者デューイの言葉である。
〈池田名誉会長は、世界随一のデューイ研究センターを擁する南イリノイ大学力ーボンデール校から、名誉人文学博士号を受章している〉
「人類というものは、一たび大権が手中にはいれば、どんな好い人でも、すべて自ら堕落して、大権を濫用する趨勢をもっている。これは人類の一大欠点である」(永野芳夫訳・大浦猛編『デューイ:倫理・社会・教育 北京大学哲学講義』飯塚書房)
ゆえに、権力は、常に青年が厳しく監視しなければならないのである。
同じく、デューイいわく。
「悪い人間というのは、今まで善であったにせよ、現に堕落し始めている人間、善が減り始めている人間のことである。
善い人間というのは、今まで道徳的に無価値であったにせよ、善くなる方向へ動いている人間のことである。
私たちは、こういう考え方によって、自分を裁くのに厳格になり、他人を裁くのに人間的になる」(清水幾太郎・清水禮子訳『哲学の改造』岩波文庫)
まことに含蓄ある、深き人間観である。
さらに、デューイの言葉に、「建設的力を生み出す最善の方法は、その力を実際に働かせることである」
「力は、活用と実践によって生まれる」(杉浦宏・田浦武雄編訳『人間の問題』明治図害出版)と。
責任をもち、実践することによって、人は、真の力を発揮するのである。

牧口先生も注目されていた、スウェーデンの女性思想家工レン・ケイは叫んだ。
「古い社会よりもすべての点で更によりよい新しい社会を造るという責任は一に彼等若い人々の双肩にかかっている」(本間久雄訳『来るべき時代の為に』北文館。現代表記に改めた)
青年の使命は、限りなく大きい。

「7月3日」を記念して、愛する創価の青年たちに ──
「君よ、正義の勝利王たれ!」
「君よ、広布の勝利王たれ!」
と呼びかけたい。
さらに、創価の女性たちに ──

「私の使命は
広宣流布である
私の使命は
皆様方が幸福に
なることである」

との言葉を贈り、私の記念のスピーチとさせていただきたい。
いよいよ、本格的な夏である。明るく、スカッとした振る舞いで、充実と勝利の日々を送りたい。
皆さまのご健康とご長寿を、心からお祈りします。
お達者で! ありがとう! (大拍手)