投稿者:まなこ   投稿日:2015年 8月 4日(火)12時02分11秒     通報
■ 殉教こそ宗教の生命

名誉会長: 全体主義の迫害と戦ったシュテファン・ツヴァイク(オーストリアの作家)は書いています。
「ある思想がこの地上で本当に生きたものとなるのは、その思想のために生き、その思想のためにに死ぬような証人や確信者を、その思想がみずからのためにつくりだすことによってはじめて可能だ」(『権力とたたかう良心』、高杉一郎訳、みすず書房」と。
「殉教者」こそ、宗教の誉れです。教団の礎です。「殉教」の心がなくなった時から、宗教の死が始まるのです。

遠藤: その心が、勧持品の肝要ですね。

名誉会長: 三類の強敵は、宗教のために他人を迫害し、殺そうとする。それと反対に、法華経の行者は、信仰のために自分が死んでいこうとする。
象徴的に言えば、人を火あぶりにするの僭聖増上慢です。それに対して、社会を救うために、自分が火刑に赴くのが法華経の行者です。大聖人がそうであられた。牧口先生、戸田先生がそうであられた。戸田先生はよく言われていた。「三類の強敵よ、早く出でよ。その時こそ、ともに喜び勇んで、敢然と戦おうではないか」と。
勧持品二十行の偈で、菩薩たちは「我身命を愛せず但無上道を惜しむ」(法華経 p443)と誓っています。不惜身命の人が成仏するのです。今、一人立つ死身弘法の人が仏になるのです。

斉藤: 「たとえ一人になっても」 —- ハワイでの講演で先生が引かれた、ガンジーの言葉にもありました。「たとえ一人になろうとも、全世界に立ち向かい給え! 世界から血走った眼で睨まれようとも、君は真っ向から世界を見すえるのだ」。
この後、講演を受けて、コロンビア大学のサーマン教授は語られました。
「世界が平和であるためには、暴力によって死ぬことを決意している人よりも、非暴力のために喜んで死のうという人が、もっと多くならなければなりません。それこそ、まさに、池田会長が『人間革命』と呼ぶものの核心なのです」
私どもも、今こそ弟子として、敢然と正義を「師子吼」してまいります。
§安楽行品§
■ 人類を絶対の「安楽」の境涯へ

斉藤: 法華経探求の語らいも、いよいよ本門を目前にしてきました。今回は迹門十四品の最後、安楽行品です。

須田: 「安楽行」というと「楽な修行」「苦労のないこと」という響きを感じますが。

名誉会長: そういう修行があればいいんだが、そうはいかない(笑い)。日蓮大聖人は明確に仰せです。「今日蓮等の類いの修行は妙法蓮華経を修行するに難来るを以て安楽と意得可きなり」(御書 p750)。
「難と戦うこと」が「安楽」であると。「難即安楽」。この悠々たる大境涯をつくるのが、安楽行品の根本です。天台大師は、安楽行の「安」とは「不動」、「楽」とは「心に憂悩無き」ことだと言っている。何の苦労もないことが「安楽」なのではない。何があっても「揺るがない」。何があっても「憂いなく」生きていける。この境涯が「安楽」なのです。真の「幸福」です。そして結論から言えば、南無妙法蓮華経の一法を行じれば、どんな苦しみも全部、安楽へと変えられる。煩悩即菩提です。一生成仏です。
歴劫修行の仏法から見れば、じつに簡単で「安楽」な修行です。苦労の少ない修行です。御本尊を持つことこそ、真の「安楽行品」だと言えるでしょう。
■ 「行動できるなんて幸福だ」

遠藤: 学会の歴史は、まさに「難即安楽」の証明ですね。無名の庶民の死闘で築かれた創価学会です。その歴史を垣間見るたびに、厳粛な思いでいっはいになります。この11月で、創立66周年を迎えます。

斉藤: 今年、入信満40年になる、あるご夫妻の体験をうかがいしまた。
—- 入信(昭和31年)当時、想像を絶する貧乏で、子どもの服を質に入れないと、御授戒にも行けなかった。「折伏をすれば幸せになれる」とのひと言を信じて、兄弟・親戚から、仏法を語っていった。皆、喜んで入会してくれると思っていたのに猛反対。一切の付き合いを絶たれてしまう。「自分のように貧乏で悩んでいる人、病気で悩んでいる人に、この仏法を教えてあげたい」。そう思って通った家でも、塩をまかれたり、風呂の水をかけられたりしたことは数しれない。人の家の物置小屋に、親子五人で間借りする生活。そこも、信心をしているというだけで追い出された。子どもに食べさせるのに精一杯だったためか、夜になると目が見えなくなった —- 。

遠藤: 栄養失調の症状のようですね。

斉藤: こんなこともあったそうです。弘教の帰り、霧雨の中を、一人の子を背負い、もう一人の子の手を引いて歩いていた。親切なバスの運転手さんが、停留所でもないのに停めてくれた。でも、お金がないので乗れない。仕方なく、親子で一時間以上も歩いて帰った。題目を唱えながら、「いつかきっと、この道を、タクシーで来てみせるぞ」と。

須田: せっかくの親切に応えきれない悔しさもあったかもしれませんね。

斉藤: このようにして、ご夫婦で百世帯以上の弘教をされました。先輩は「大きな悩みがある人ほど、大きな功徳を受けられるのが妙法の信心だ」と教えてくれたそうです。どんなに苦しくても「信心」だけはやり抜いて、体も健康になっていきました。
わずかの資金で始めた飲食業の商売も軌道に乗り始めます。功徳が感謝に、その感謝がさらに大きな功徳にと、発展を重ねてこられたのです。今では、店舗のほかに大きな工場もでき、全国に発送。三千六百軒の得意先から連日、注文が入ってくるそうです。ぜひ、支部の会場にと、広い家も建てられました。そこには、五、六十台も停められる駐車場があり、「三色旗」を掲げるポールまであるとか。

遠藤: 素晴らしいですね。

斉藤: ご夫妻が、しみじみ語られていたのは、「学会活動ほど楽しいものはない」とうことです。一時期、先輩から、経済闘争を優先させなさいと言われ、学会活動ができない時があった。「これほど、つらいことはなかった」と言っておられました。「広宣流布のために働ける。それが私たちの幸せそのものでした」と。
お店をもっていることに目をつけて、悪い妨主が「脱会して、こっちに来ないか」と言い寄ってきた時も、ご夫妻は断固はね返しました。「結構です! 私たちは、どこまでも学会とともに、池田先生とともに進みます!」と。

須田: 本当に学会活動こそ「難即安楽」の軌道ですね。

名誉会長: そのご夫婦は、私もよく存じ上げています。私は、陰で学会に尽くしてくださった方々を絶対に忘れません。特別の著名人でもない、社会的に“偉い人”でもない。しかし自分自身が大変ななかで、広宣流布のため、同志のために、黙々と学会を支えてきてくださった。仏法の眼から見て、この無名の庶民ほど尊い方々は絶対にいないのです。
私は、そういう方々を、草の根を分ける思いで探し出し、顕彰申し上げたい。苦労に報いたい。それが私の本当の気持ちです。「学会員でよかった」「苦労してきてよかった」 —- そういう世界を広げたいのです。
「難即安楽」と言っても、指導者に「全同志を必ず安楽の境地に導いてみせる」との一念がなければ観念論です。
「学会に、全同志に、限りなき希望の道を開かせたまえ」と、私は若き日より祈り続けてきたのです。