投稿者:まなこ   投稿日:2015年 8月 1日(土)06時21分26秒     通報
■ 今いる「ここで」戦う

遠藤: はい。初めに勧持品の“あらすじ”を見ておきたいと思います。宝塔品で釈尊は、弟子たちに語りました。「私が死んだ後、この娑婆世界で、誰か法華経を説くものはいないか。私はもう、この世に長くはいない。法華経の“バトン”を譲り渡したいのだ」「私の死後、法華経を持つのは、とても難しいことだ。しかし、それでも持ち続けるならば、すべての仏が賛嘆するだろう。その人自身が仏だ。さあ、みんな、私が死んだ後に、だれがこの法華経を護るのか。今ここで、誓いの言葉を聞かせてくれないか」。
これを受けて勧持品では、最初に薬王菩薩と大楽説菩薩が、仲間とともに誓います。
「世尊どうか心配なさらないでください。仏が入滅された後、私たちが必ずこの法華経を持ち、説いていきますから。その時、人々は、善根が少なく慢心が多いために、なかなか教化できないでしょう。でも私たちは、勇敢に耐え忍び、身命を惜しまず、法華経を語り抜いてまいります」。

名誉会長: 「不惜身命」だね。弘教が困難な娑婆世界でこそ戦おうと。

遠藤: 続いて、すでに成仏の保証を得た多くの弟子たちが、我も我もと、次々に誓いを述べます。

名誉会長: ただ、彼らの誓いと、最初の菩薩たちの誓いとには決定的な違いがある。

遠藤: はい。菩薩たちは、釈尊の教えの通り、「この娑婆世界で戦おう」と決意します。
ところが他の弟子たちは「娑婆世界は人心が乱れていて、やりにくい。“他の国土”で頑張ります」と(笑い)。娑婆世界の衆生は欠点だらけで、慢心を懐き、徳が薄くて、怒りっぽく、心がひねくれ曲がっているから、というのです。

名誉会長: よくもそれだけ欠点を並べたね。でも、その通りだ(笑い)。

遠藤: 声聞たちは釈尊から授記されることによって菩薩の道に入りました。しかしまだ「新米の菩薩」だから、このような悪人ばかりがいる悪世の弘教には耐えらえれないのだ —- と天台は解説しています。

名誉会長: 「他土」へ行くとは、人間誰もがもっている「どこか別の楽な所に行って生きよう」「大変な所は避けよう」という逃避の一念を表していると言えるかもしれない。
しかし、自分が今いる、「ここで」命を燃やしきっていくのが法華経の精神なのです。本有常住です。「此を去つて彼に行くには非ざるなり」(御書 p781)です。

斉藤: 釈尊が教えてきたのは、「悪世の娑婆世界で法華経を弘めよ」ということでした。なのに菩薩以外の弟子たちは、自分が成仏できることを喜んだが、釈尊の本意には応えなかった。

須田: 釈尊は“がっかり”したでしょうね。

名誉会長: その時の思いを、日蓮大聖人は、こう書かれている。「どんなにか仏は、腹立たしく思われたことでしょう。そこで仏は脇を向いて、八十万億那由佗の諸菩薩を、つくづくご覧になったのです」(御書 p1419 趣意)と。これは、この時に授記された女性たちが「他の国土で」弘教しますと言ったことを述べられたものです。

須田: はい。釈尊の叔母にあたる摩詞波闍波提比丘尼、釈尊が出家する前の妻であった耶輸陀羅比丘尼の二人と、その眷属の比丘尼たちに授記されています。

斉藤: 竜女の成仏が明かされても、“自分も成仏できるのだろうか”と、二人はまだ心配であったようです。釈尊は、その不安をただちに察知して、“あなた方も、菩薩の道を行ずれば、必ず仏に成れますよ”と告げたのです。