投稿者:まなこ   投稿日:2015年 7月26日(日)17時33分55秒     通報
§提婆達多品§(上)
■ 悪人成仏 —- “善の勝利”の偉大な証明

斉藤: 長い北・中米歴訪、本当にお疲れになったことと思います。アメリカ、キューバ、コスタリカ。またバハマ、メキシコと「世界を結ぶ」ご行動は、まさに法華経の実践そのものだと感動しました。

遠藤: 体制や機構・文化など、あらゆる違いを違いとして尊重しながら、平等の「人間」対「人間」の次元で対話を促し、人々を結びつける。これが法華経ですね。

須田: (法華経の中心の法理である)「諸法実相」も、「多様な諸法」の「平等な実相」を観じるということです。それを論じたり、口で説くことは簡単ですが、実行するとなると大変です。いわんや、それをグローバルなスケールで実行することは —- 。

名誉会長: 感心してばかりいないで(笑い)、青年が後に続いてもらいたい。コスタリカのフィゲレス大統領の父君は軍備を撤廃した大統領として有名です。そのモットーは「限りなき闘争」だったという。若き日から、自分の農場にも、この言葉を掲げて前進したのです。いわんや、私どもは仏法者です。「仏法は勝負」です。「限りなき闘争」です。
「善と悪」「法性と無明」「幸福と不幸」「平和と戦争」「建設と破壊」「調和と混乱」。それらの永遠の闘争が、人生と社会の実相です。否、宇宙の実相なのです。だから戦うしかない。だから勝つしかない。仏の別名は「勝者」というのです。

斉藤: 釈尊の一生も、絶え間なき大闘争の一生でした。仏教は、仏像などの印象の影響もあるのか、静かで平穏なイメージで受け止められていることが多いようです。しかし、実際には、釈尊の生涯は波瀾万丈であり、激烈な闘争の連続でした。

名誉会長: そうだね。その大闘争によって鍛え抜かれた「境涯」が、海が凪いだように静穏なのです。周囲が何を騒ごうとも、築き上げた精神世界は、だれ人にも乱されない。晴れやかな久遠元初の風光が、つねに燦然と輝いているのです。

須田: そういう釈尊の大闘争のうち、もっとも有名なのが、提婆達多の反逆です。これは外からの迫害と違って、教団内部からの事件であり、それだけ深刻でした。反逆者が権力者・阿闍世王と結託して釈尊を亡きものにしようとしたのです。

遠藤: 提婆達多は、まさに「悪役」の代表ですね。「悪逆の提婆」と呼ばれ、悪いと言えば、こんなに悪い人間もいません。その「大悪党」が成仏するというのが、法華経の提婆達多品(第十二章)です。ある意味で、これほど不思議な法門はないかもしれません。

斉藤: 提婆品では、この「悪人成仏」とともに、竜女の成仏という「女人成仏」が説かれています。悪人も女人も、それまでの仏教では、仏に成れないとされてきました。いわば常識をくつがえす説法であり、一切衆生を成仏させるという、法華経の特長が劇的に表現されている品といえます。

須田: 日本で古くから法華経が人々に親しまれてきた要因の一つにも、この提婆品があるようです。たとえば平安時代に、朝廷などで法華八講(法華経八巻を朝夕一巻ずつ四日間で講義する法会)の儀式が広く行われましたが、提婆品は特に尊重され、提婆品がある第五巻の講義の日は特に盛況であったといわれています。

名誉会長: 大聖人は、その第五巻について「第五の巻に即身成仏と申す一経第一の肝心あり」(御書 p1311)と仰せられている。もちろん重要な品は、他にたくさんあるけれども、大聖人が「一経第一の肝心」と言われたごとく、この品に即身成仏が説かれていることがポイントです。「あらゆる人を成仏させるのだ」というのが法華経の心です。人々にとって法門以上に切実なのは、自分が成仏できるかどうかということです。提婆品は、まさにその問題に端的に答えを示している。
釈尊の殺害を図り、教団を分裂させた極悪人の提婆達多。また世間から差別されてきた女性であり、その上、畜生の身である竜女。この二人は当時の常識からすれば、成仏からもっとも遠いと考えられていた存在でしょう。その提婆と竜女でさえも成仏できると説くことは、この世で成仏できない存在はないということを示しています。
提婆と竜女の成仏という具体例を通して、そのことが、観念ではなく実感として、人々に受け止められたといえるでしょう。提婆品が親しまれてきた理由も、そこにあるのではないだろうか。『源氏物語』の著者・紫式部も、提婆品の講義を聞いて、女人成仏の法理に触れた感激を、和歌などに記しています。

斉藤: 大聖人は、提婆達多と竜女の成仏を「二箇の諌暁」と言われています。二人の成仏を説き法華経の偉大さを示すことによって、釈尊滅後の法華経弘通を菩薩たちに勧め、諌めているということです。悪人と女人とは、要するに一切の凡夫ということになります。二人の成仏は、一切衆生を成仏させる「法華経の力」を示しています。その意味で、二人の成仏を説くことが法華経弘通の「勧め」であり、「諌め」となるわけです。

遠藤: 「一切衆生の成仏」については、理論的には、方便品を中心とする諸品で説き終わっています。したがって、提婆品は、法理的には「方便品の枝葉」であると大聖人は仰せです。

名誉会長: そう。しかし、それにもかかわらず、二人の成仏を説いたのは、強い啓発カがあるからでしょう。提婆達多は、釈尊に徹底して背いた男です。善に背くのが悪ですから、仏に背いた提婆達多は悪人の典型です。その成仏を説くのだから、インパクトは大きい。
また、竜女の成仏は、女人の成仏であるとともに、「即身成仏」である点が重要です。つまり、凡夫の身を改めずに成仏できることを強く印象づけているのです。
ここでは、そのうち前半の「悪人成仏」を論じてはどうだろうか。