投稿者:まなこ   投稿日:2015年 7月24日(金)08時04分8秒     通報
名誉会長: 小宇宙といえば、人体を構成する元素は、宇宙を構成する元素と共通していますね。たとえば宝塔は「七宝」で飾られていますが、この七宝の成分も人間の体にあるのではないだろうか。

遠藤: はい。少し調べてみました。七宝は、鳩摩羅什の訳では、金、銀、瑠璃、シャ(石へんに車)コ(石へんにさんずいに巨、下に木)、碼碯、真珠、マイ(王へんにのぶん)瑰の七つです。このうち金、銀、碼碯、真珠は、宝石・貴金属の類では有名ですね。私も見たことがあります。持ってはいませんが(笑い)。
瑠璃は、ラピスラズリとも呼ばれる深い青色の貴石です。シャ(石へんに車)コ(石へんにさんずいに巨、下に木)は、シャ(石へんに車)コ(石へんにさんずいに巨、下に木)貝という貝の殻。マイ(王へんにのぶん)瑰は雲母の仲間で、中国産の珍しい石だそうです。

斉藤: サンスクリットの法華経では、珊瑚、琥珀、水晶となっているものもあります。

遠藤: 七宝のうち、瑠璃、碼碯、マイ(王へんにのぶん)瑰の基本となる成分は、ケイ素です。ケイ素は、人体に必須の物質の一つで、骨格の成長や形成に欠かせません。
真珠やシャ(石へんに車)コ(石へんにさんずいに巨、下に木)の主な成分はカルシウムです。カルシウムは私たちの骨や歯などをつくっていることでも知られています。
また碼碯の、さまざまな色彩は、含まれる金属の違いによるのだそうです。鉄が入ると赤に、コバルトが入ると青に、クロムが入ると緑に、といった具合です。
じつは、これらはどれも、人間が生きていくうえで欠かせない金属です。鉄は血液中の酸素の運搬に、コバルトは造血に、クロムは糖や脂肪の代謝に —- と。ほかに銅、亜鉛、スズ、マンガン、ニッケルなども人体に必要な金属です。金や水銀なども、必要である可能性があるそうです。

名誉会長: 不思議だね。生命は、文字通り“宝”ということだ。人体を構成する元素でもっとも多いのは、水素、酸素、炭素、窒素と言われるが、今挙げた金属も絶妙なバランスで含まれていて、“小宇宙”である生命を支えているんだね。

須田: 今、血液の話が出ましたが、体内の血管の長さを合計すると、九万六千キロにもなるそうです。これは地球の二回り半にあたります。ちょっと信じられません。そんなに長い距離が、自分の体に納まっているなんて(笑い)。

名誉会長: 日蓮大聖人は「総勘文抄」で「この身の一つ一つが、天地の姿にならっている」という妙楽の言葉を引かれているね。この中に「脈は江河に法とり」(御書 p567)とある。血液の流れは、自然界の大河のようであると。人間の生命が、自然界と一体であることを教えられている。

斉藤: 宇宙的なスケールですね。ほかに「眼は日月に法とり開閉は昼夜に法とり」(同)ともあります。眼は太陽や月のようであり、その開閉は昼夜のようであると。

名誉会長: 眼は太陽と月 —- 一見、飛躍しているようでいて、“なるほど”と思いますね。ゲーテも “眼は太陽である”という古代人の言葉を引いていた。
「もしもこの眼が太陽でなかったならば/なぜに光を見ることができようか」(『自然と象徴』、高橋義人編訳・前田富士男訳、富山房)。またゲーテ自身、こう洞察している。「内にあるものもなければ 外にあるものもない/内がそのまま外なのだ」(同)と。
大聖人は、さきほどの妙楽の言葉を引かれて、自分自身を知ることは宇宙の万象を知ることであると教えられている。
自分が変われば、環境は変わる。一念が変われば、すべてが変わる。一念三千です。ゲーテの真意はともあれ、一念三千とは“内がそのまま外なのだ”ということなのです。

須田: 仏法では、あらゆる生命を貫き、大宇宙を貫いて、何らかの法則性が存在していると説いています。このことは、科学において生命体の「形」のうえからも考察されています。こうした考察にはゲーテの影響もあります。ゲーテは、植物の観察を通して、生物のあらゆる部分が「らせん状」になっていることに注目しました。ヒルガオの“つる”の巻き方、シラカバの木が自分自身を軸として回転していること等々です。
また巻き貝の殻、羊や牛の角、象の牙もそうです。血管も「らせん状」の繊維で織られたチューブです。さらに微小な世界では、遺伝情報をもったDNA(デオキシリボ核酸)の二重らせん構造です。大きな世界では、竜巻、台風、さらには星雲の形にも、共通して「らせん」あるいは「渦巻き」が見られます。

遠藤: 「鳴門の渦潮」もそうですね。「らせん」は古くから、生命力や成長、進化のシンボルとされていたようです。ある研究者は、「らせん」は類似する現象の繰り返しであることから、「リズム」を表しているとの見方を紹介していました。(三木成夫著『生命形態の自然誌』、うぶすな書院)

名誉会長: 大宇宙には「リズム」がある。個々の生命のどんなリズムも、大宇宙のリズムと響き合っている。“生きている”ということは、大宇宙と、我々の生命すなわち小宇宙とが、「共振」することではないか、と思う。
“リズム”という言葉を借りれば、大宇宙それ自体がリズムを奏でている。「生きとし生けるものを成長させよう、向上させよう」という慈悲のリズムです。あるいは、慈悲の“波長”と言ったほうがいいかもしれない。生命は、この波長をキャッチできる“受信機”です。どこにいようと、仏界のチャンネルに合わせれば“自分も成長し人をも成長させる”という慈愛の曲に包まれていく。あるいは“音叉”をイメージしてもいいかもしれない。同じ波長の二本の音叉があれば、一本を鳴らすと離れたところのもう一本も自ずと鳴り出す。

斉藤: 「レゾナンス(共鳴)」ですね。

名誉会長: そう。「慈愛」という生命の音叉を鳴らせば、初めは一本でも、必ずどこかで、二本、三本と、同じ「慈愛」の音叉が鳴り出すのです。
波長はあるのです。だれかが最初に鳴らさなくては。また音叉は、寝かせて置いたままでは鳴らない。立てなくては。宝塔品で、十方分身の仏たちが釈尊のもとへと馳せ参じた姿は、あたかも「令法久住」(法をして久しく住せしめん)という音叉の響きに呼ばれて、たくさんの音叉が同時に鳴り出したかのような光景が、まぶたに広がります。

斉藤: 美しい壮大なイメージですね。釈尊は十方に散っている分身仏を集めるために、三度にわたって娑婆世界を浄化しました。これが三変土田です。三変土田自体が、「国土の変革」を示しています。
まず娑婆世界を変じて清浄とします。そして、法華経の会座に集った衆生だけを除いて、その他の諸の天人を他土に移します。これが第一の国土の浄化です。ところが、十方の分身仏の数が余りに膨大なために、娑婆世界におさまりきらない。
そこで次に、四方(東・西・南・北)・四維(西北・西南・東北・東南)の八方において、それぞれ二百万億那由侘の国を変じて清浄にし、諸天人を他土に移します。そうすると、それらの国土は一つの仏国土のようにひと続きとなります。これが第二の浄化です。さらに、同じく八方において、それぞれ二百万億那由佗の国を変じて清浄にし、三たび諸天人を他土に移します。これが第三の国土の浄化ですが、やはり一つの仏国土のようにひと続きになります。
こうして、浄化された八方の「合わせて四百万億那由佗の国土」に、十方の分身仏が満ちあふれます。これが三変土田です。

名誉会長: 諸の天人を他土に移すというのが面白いね。これには、さまざまな解釈が可能だと思うが —- 。

須田: 天人も六道のうちです。娑婆世界を浄化して、仏国土を出現させても、六道を輪廻する諸天人には見えないことを「他土に移す」と表現したのではないでしょうか。自分が変わらなければ、何も変わって見えないわけです。

遠藤: ポスト冷戦へ世界がどんどん変わっているのに、いまだに冷戦時代と同じ古い意識にしばられている日本人を思い起こさせますね。

斉藤: 天台大師は「法華文句」で、この三変土田を三昧によるものと解釈しています。

名誉会長: なるほど。三昧とは心が一つに定まることだね。いわゆる禅定ですが、私どもで言えば、揺るぎない境涯です。一念です。何ものによっても動かされない不動の「内面世界」です。「三変土田」は、その意味で、国土の浄化を説いているだけではない。自身の一念の変革を明かしている。