投稿者:まなこ   投稿日:2015年 7月21日(火)15時47分13秒     通報
■ 宝塔の出現

遠藤: はい。見宝塔品は、その宝塔の出現から始まります。巨大な宝塔が大地より突如として出現し、空中に浮かんで静止します。そして、その中から大音声が聞こえてきます。「素晴らしい。素晴らしい。よくぞ法華経を大衆のために説いてくださった。その通りです。その通りです。あなたが説かれたことは、すべて真実です」と。
この賛嘆の声を聞いて、人々は大いに疑問をいだきます。「こんなことは、今までなかった。いったい、どういうわけで、宝塔が大地から現れ、その中から声が発せられたのだろう」
釈尊は答えます。「この宝塔の中には、多宝如来という名前の仏様がおられる。この仏様は、かつて誓ったのです。『法華経が説かれるところがあれば、私の塔はその前に現れ、証明役となって、素晴らしい、素晴らしいと賛嘆しよう』と。だから今、法華経が説かれるこの場所に、多宝如来の塔が出現して賛嘆したのです」。

須田: ここで、ある菩薩が「それなら、その仏様に会わせてください」と、食い下がった(笑い)。

遠藤: ええ。しかし、それには条件があった。多宝如来が姿を見せるには、釈尊の分身として十方世界で説法している仏たちを、すべて、呼びもどさなくてはならない。
仏たちが集まってこられるように、釈尊は、今いる娑婆世界を三回にわたって清め、広げて、一つの仏国土にします。これを「三変土田」といいます。仏たちが“集合完了”したところで、釈尊が宝塔を開くと、多宝如来が、荘厳な姿で座っています。

須田: 「おおー」と、人々のため息が聞こえてきそうな場面ですね。

遠藤: 多宝如来は、重ねて「素晴らしい、素晴らしい」と、釈尊の法華経説法をほめたたえます。そして、座っている場所を半分あけて、釈尊に、ここにお座りくださいと。

須田: こうして二人の仏が並んで座ったのが「二仏並坐」ですね。

遠藤: この時、人々は、はるか高いところに二人の仏を見上げている格好でしたが、釈尊は、人々を、ぐーんと空中に引き上げます。ここからが「虚空会」です。
そして釈尊は呼びかけます。「だれか、この娑婆世界で、広く法華経を説くものはいないか。私は、もう長くは生きていない。法華経のバトンを渡したいのだ」。そして「多宝の宝塔が現れ、十方の仏たちが集まったのは何のためか。それは、この妙法を、永遠に伝え弘めていくためなのだ」と。

須田: 「令法久住(法をして久しく住せしめん)」ですね。

遠藤: さらに、仏の滅後に法華経を持ち弘めることが、他の経典の場合にくらべて、いかに難しいか(六難九易)を説きながら、その困難をなしゆく大願をおこせ、その人こそ、無上の仏道を得ることができるのだと、誓願を勧めます。これが宝塔品のストーリーです。

斉藤: やはり圧巻は、壮麗、壮大な宝塔の出現です。七宝すなわち金・銀・瑠璃・碼碯などの七種の宝玉でできている塔です。

名誉会長: 大いなる塔が建つ —- 「虚空会の儀式」の劇的な始まりだね。大聖人は、「儀式ただ事ならず」(御書 p1126)と言われている。

遠藤: 本当に、ただ事ではありません。「宝塔の出現」「多宝如来の証明」「三変土田」「十方世界の分身諸仏の集合」「釈迦・多宝の二仏並坐」と、前代未聞のことが次々と起こります。

須田: 宝塔の大きさ自体も、ただ事ではありませんね。高さが五百由句、幅が二百五十由句という巨大なものです。
由句とは、インドの距離の単位です。当時の帝王が一日に行軍する距離とされています。一説には、中国の四十里にあたると言われていますが、他にもいくつかの説があります。少なく見積もっても、五百由句は地球の(直径の)三分の一ほどになるのではないでしょうか。当時の人々には理解しがたい巨大さだったでしょう。

名誉会長: 当時の人だけではないね(笑い)。宇宙的なスケールで考えないと、わからない。七宝でできているというのも並外れている。

遠藤: その宝塔の中に多宝如来がいるわけですが、一体そんな巨大な宝塔のどこにいるのか。釈尊が右手で宝塔を開き、多宝如来と並び座る(二仏並座)のですが、開けた扉が大きいのか、小さいのか、塔のどこにあったのか。よくわからないことが多いのです。

名誉会長: 宝塔とは何かと、阿仏房が大聖人にお尋ねしたのも無理はない(笑い)。