投稿者:ジョーカー   投稿日:2015年 7月20日(月)00時22分10秒     通報
「どうしたら創価学会は日蓮仏法の継承者になれるか?」

共戦様より本質に迫る問いが発せられたので、私の考えを述べたいと思います

まず、日蓮仏法の継承者ではない団体のことを邪教といいます。創価学会が邪教であったのならば、後継の資格はなしといえます。邪教については人間池田大作で、「会長が上、会員が下、こうなったら創価学会も邪教です」と明確に言われています。

創価学会の淵源は、牧口先生の殉教であり、それに連らなる三代会長の精神が脈打つからこそ、大聖人直結であり、後継者足り得ているといえます。もしも三代会長の精神が失われ、「会長が上、会員が下」が当たり前となり、会長に従うことが正しい信心で、一会員は意見も言えない体制や、言ったら悪口、批判と押さえつけられるようになると危険です。それは官僚主義であり、日蓮仏法の人間主義とは相反するものです。

教義変更の本質も、教義を変更したことではなく、執行部の一方的な姿勢が問題であり、その振る舞いに「会長が上、会員が下」が見え隠れする。一事が万事であり、しかも、中枢がそのような状態に陥っていること自体が邪教化フラグとなっていることに気付かねばならないと思うのです。「会長が上、会員は下」は悪であり、そのことを厳しく追及しているのが宿坊の掲示板であると認識しています。

創価学会の組織は常に、人間主義と官僚主義の壮絶な戦いにさらされており、「会長が上、会員が下」の状態にいかにさせないか。この状態にならないように、幹部の悪や組織悪を指摘しているわけです。このことがわからないと、宿坊の掲示板を閲覧しても、ただの批判、悪口にしかうつらないかもしれません。根底はここにあり、また、見失わないように注意していかなくてはなりません。自浄作用がないことほど恐ろしいことはないですから。

「創大生が立て直してくれる」との先生の期待と信頼は、私も存じています。なぜならば、私自身、創大出身者だからです。先生の言葉は未来への伏線であり、張られた伏線は必ず回収するのが創大出身者である私の生きる道です。そのために、本日より御書講義を開始して、第一回目を終えました。現実に第一歩を踏み出したのです。
0は何も生むことはできず、価値を創造できない。1は無限の可能性であり、私はそれを大事にします。

日蓮仏法を継承していくのであれば、「会長が上、会員が下」の組織にならないように戦うことです。その意識がなければ、気付かぬうちに官僚主義に毒されていきます。そのことをずっと訴えているわけです。これが「悪と戦う信心」であり、それを意識せよと主張しているのです。心ある人は、きっと真意を理解してくれることでしょう。

いかに三代会長の精神を受け継ぎ、実践していくか。それが現代における日蓮仏法の継承者であり、大事なことは「自分自身が継承するかどうか」であります。自分こそが主人公であり、ほかの誰かは関係ありません。もちろん実際は、継承者は出現すると思いますが、あくまでも本質は、「自分が継承者になろう」という意思と決意があるかどうかではないでしょうか。そのことが今、問われており、一念の分かれ目であると思っております。あとは自身の選択次第です。