投稿者:まなこ   投稿日:2015年 7月16日(木)07時01分28秒     通報
■ 衣座室の三軌
● 一、「慈悲の部屋」

遠藤: 滅後の弘教の在り方として、法師品では「衣座室の三軌」が説かれます。
「薬王、若し善男子、善女人有って、如来の滅後に、四衆の為に是の法華経を説かんと欲せば、云何が応に説くべき。是の善男子、善女人は、如来の室に入り、如来の衣を著、如来の座に坐して、爾して乃し四衆の為に広く斯の経を説くべし。如来の室とは一切衆生の中の大慈悲心是れなり、如来の衣とは柔和忍辱の心是れなり。如来の座とは一切法空是れなり」(法華経 p394)と。

名誉会長: 「如来の室(部屋)」「如来の衣」「如来の座」香り高い表現です。
衣座室の三軌は、「如来の心」を象徴的に説いたものです。
「仏は、このような心で法華経を説いているのですよ」「このような心に立てば、仏のように、難があっても弛まず民衆を救っていけるのですよ」とアドバイスし、弘教を勧めているのです。
では「大慈悲」が、なぜ、如来の「室」に譬えられるのだろうか。

斉藤: 慈悲とは、「慈しみ」であり、深い意味での「友情」です。同じ人間として、また、同じ生命として、共通の絆を感ずることです。「愛」といってもいいと思いますが、簡単に憎しみに転ずるような利己的な愛ではない。生命への洞察に根差した人間愛です。
共に幸福になろう、共に成長しようという真の連帯感とでも言いましょうか。

須田: また、慈悲とは「ともに悲しむ」心であり、「同苦」の心でもあります。苦しんでいる人を見たら手を差し仲べずにいられない。苦しみを共に担いたい。そういう深い感情です。

名誉会長: そう。慈悲は、上に立って見下ろすようなものではない。
タテではなくヨコです。水平です。平等の人間としての共感である。相手への尊敬が基本になっている。
だから「慈悲の部屋」なのです。慈悲の生命空間の中に友を招き入れ、包み、同じ部屋に共に座って人生を語っていくのです。
「人間として」平等の立場で、語り合い、学び合い、ともに「より正しい人生」に目覚めていく。その「場」そのものが折伏なのではないだろうか。

遠藤: はい。実際、いかにも救ってやろうというような傲慢は反発を招くだけだと思います。

名誉会長: 大聖人は立正安国論で、客と対話する主人を「蘭室の友」と呼んでいます。
蘭の部屋では、その香りが自然に衣服などに染みついていきます。同様に、対話は、慈悲の香りが相手を包み込むようでありたい。
弘教は押しつけでもなければ、組織のためでもない。
弘教は、相手の仏界を礼拝することだから、最高に相手を尊敬する行為なのです。
「気の毒だという気持ちが折伏の根本である」と戸田先生は言われていた。慈悲が根本だということです。
相手を論破しようとしたり、こちらの勢力に取り込もうとするような対立的な心で弘教するのではないのです。

須田: 対話ですから、相手の話を聴くことが必要ですね。一方的にしゃべりまくって、それで「対話した」と思っている人がいますけれども(笑い)。

名誉会長: そう。相手の話を遮ったり、頭ごなしに結論を下すのでは、対話とは言えない。
“ちょっと変だな”と思っても、いちいち突っ込んだりしないで(笑い)、相手の話にうなずいていくくらいの心の広さが欲しい。そうすれば相手の人も安心して、こちらの話を聞いてくれる。
その意味で、仏はまさに対話の名人です。釈尊も大聖人も、お会いするだけでうれしくなり、心が温かくなるような人格であられたにちがいない。だからこそ人々は仏の言葉を喜んで聞いていったのではないだろうか。

須田: 「慈悲の部屋」という言葉からは、そういう温かく、広々とした人格がイメージされます。

名誉会長: 釈尊の、こんなエピソードが伝えられている。
ジャイナ教を信仰していたウパーリという人がいた。釈尊を論破しようとしたが、反対に釈尊の人格と智慧に感激して、仏教の信者になりたいと申し出た。
ところが釈尊は、ウパーリを感服させたことを得意がるどころか、「そう簡単に、今までの信仰を捨てるものではない。熟慮したほうがよい」と諭したのです。
ウパーリは、ますます感動して答えた。
「世間では、こう、うわさしております。『沙門のゴータマ(釈尊)は、自分に供養せよ、他に供養してはならない。自分や自分の弟子たちに供養すれば功徳があるが、他の者たちに供養しても功徳はない、と主張している』と。世尊の態度は、そのうわさと、まったく逆です。私は、さらに改めて仏教に帰依いたします」
このことを知った、ジャイナ教の師匠は、弟子たちを連れてウパーリの家に行く。ウパーリは丁重にもてなしたが、師匠はウパーリを「ミイラとりがミイラになるような愚か者だ」と非難した。
ウパーリは礼儀を尽くし、淳々と説いた。
「釈尊のような方にならば、誘惑されても本望です。世界中の王族やバラモン、庶民、奴隷が釈尊に誘惑されるとすれば、それこそ全世界の永遠の平和・幸福となるでしょう」

遠藤: 痛快な話ですね。
》記事一覧表示