投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2015年 1月16日(金)08時40分29秒  

それでは、そろそろ最後のまとめに入っていきたいと思います。
「立正安国論」「開目抄」「観心本尊抄」の三大部を研鑽して思うことは、
日蓮大聖人が末法の世に出現した目的は、民衆を幸福の軌道に導きながら、
三大秘法の確立と広宣流布の原理を万人に示すことであったということは明白です。

いわゆる大聖人の「出世の本懐」というものです。
これを最後に考えていきたいと思います。

まず、「法華行者逢難事」は三大秘法の名目を示し「聖人御難事」は出世の本懐を示し、
ともに法華経の行者の「受難」を示しています。
法華行者逢難事に「天台・伝教は、之を宣べて、本門の本尊と四菩薩と戒壇と南無妙法蓮華経の五字と之を残したもう」(九六五頁)とあります。

これは天台・伝教がいまだ弘通していない「法」があり、
それは「本門」の本尊と四菩薩と戒壇と南無妙法蓮華経であると断言します。
そして、その理由を五義に寄せて解説しました。

また法華取要抄には「問うて云く、如来滅後二千余年、竜樹・天親・天台・伝教の残したまえる所の秘法は何物ぞや。答えて云く、本門の本尊と戒壇と題目の五字となり」(三三六頁)

――釈尊滅後、二千余年(正法・像法)の法華経の行者が残した秘法は何か。
答えて言う、本門の本尊・戒壇・題目の三大秘法です――と明示しました。

ここで気付くことは「本門」ということを強調していることです。
これは「本迹相対」の立場から述べられたものと思いますが、この「本門と迹門」は「質の違い」と取ることもできます。

大聖人の三大秘法を理解していくためには「質的」な意味で、
迹門に位置する釈尊・天台・伝教の「出世の本懐」と比較していけば分かりやすいと思います。

まず、釈尊の出世の本懐は「法華経」ですが、釈尊はその心を人の「振る舞い」で表現しました。
大聖人は本門の立場から、法華経に貫かれた永遠の法を導き出し「南無妙法蓮華経」と名付けました天台の出世の本懐は、摩訶止観で説かれた「一念三千」です。
これを本門の立場で「南無妙法蓮華経の本尊」として捉えなおし、大聖人滅後の万人のために、
天台の出世の本懐を、さらに昇華させた形で全民衆が根本尊敬する明鏡として「文字漫荼羅本尊」を顕しました。
しかもその最大の特徴は「人と法」が一体となった境地が図顕されているということです。

「日蓮がたましいをすみにそめながして・かきて候ぞ信じさせ給へ」(一一二四頁)
と述べているように、大聖人は三類の強敵として襲いかかってきたあらゆる魔性に打ち勝ち、
竜口の法難の時に《永遠の法と完全に一体となった境地を成就》したその「魂」を一幅の漫荼羅に図顕しました。

大聖人のいう「本尊観」は、法華経の行者を「師匠」と仰ぎ、
明鏡の漫荼羅本尊を拝す――この二つ《人法一箇》があって初めて「本門の本尊」が成立するのです。
そしてその本門の本尊を受持するとは、師弟不二の信心に立って明鏡を拝すということです。

師匠のいない信仰は、本門の本尊を受持したことにはなりません。
そして、この明鏡を拝し「受持即観心」する実践法を「本門の題目」と名付けました。