投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2015年 1月16日(金)08時41分24秒  

自身の生命に仏界があることを疑わず、人法一箇の御本尊を信じ、
その明鏡に向かって唱題行を実践し、他の人々にそのことを教え導いていく折伏行を実践する。
これが本門の題目の実践です。

「末法に入て今、日蓮が唱る所の題目は前代に異り、自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり」(一〇二二頁)とある通りです。
ここに至り「本門の本尊(人法一箇の明鏡)」と「本門の題目(仏道修行)」は、
佐渡期に成就したといえるのではないでしょうか。
伝教の出世の本懐は、法華経を根本とした「迹門の大乗戒壇」です。
これは法華経の思想を基盤として人材育成をしていく場所、今でいえば学府(大学等)のようなものです。

当時の日本において、正式な「僧侶」になるためには、国家認定の資格が必要で、
資格を認定する「戒壇堂」は、全国で三箇所(奈良・東大寺、筑紫・観世音寺、下野・薬師寺)だけでした。
法華経を最上第一とする伝教は当然、奈良の八宗・十宗の思想とは相容れない存在でした。
そこで伝教が開いた「比叡山・延暦寺」を僧侶の資格認定が発行できる戒壇堂にしようと奔走するのです。

伝教の仏教思想を示した「山家学生式」の冒頭で
「国の宝とは何物ぞ、宝とは道心なり。道心ある人を名づけて国宝と為す」と述べています。
国の宝とは何か。宝とは、道を修めようとする心である。
この道心をもっている人こそ、社会にとって、なくてはならない国の宝であるという意味です。

そして「比叡山で得度(出家)した者は十二年間、山を下りずに修行させ、修行を終了した者は、
その適性に応じて後進の指導にあたり、社会のリーダーとして活躍させたい」と主張するのですが、
国家はなかなかそれを認めませんでした。

そして、伝教の「大乗戒壇の設立」を国家が正式に認めたのは、
八八二年・伝教の死後七日目にしてようやく許可されたのです。
ここに伝教の出世の本懐である「迹門の大乗戒壇」が成就するのです。

大聖人も報恩抄で「伝教は、比叡山に大乗の戒壇をすでに立てた。
内証の悟りにおいては、皆と同じであるけども法の流布においては、
正法時代の弟子や像法の天台よりも伝教は優れている(通解)」(三二八頁)と、伝教の功績を認めています。

また大聖人も伝教と同じく「三大秘法禀承事(一〇二二頁)」の中で、
人材育成を目的とする学府も本門の戒壇の一つであると言及しています。

しかし「問うて云く、末代初心の行者、何物をか制止するや。
答えて日く、檀戒等の五度を制止して、一向に南無妙法蓮華経と称せしむるを
一念信解初随喜の気分と為すなり。是れ則ち此の経の本意なり」(三四〇頁)

と語っていることから考えると、まず、南無妙法蓮華経と唱え、本尊を受持することが肝心だといっています。つまり「受持即観心」――これが大聖人のいう「本門の戒壇観」だと思います。