投稿者:まなこ   投稿日:2015年 7月13日(月)13時15分3秒     通報
■ 人間よ 人間に帰れ

名誉会長: さて、この人開会だが、開いていえば、すべての差異を一歩深い次元から乗り越えて、「皆、平等に尊貴なのだ」と示していくことに通じる。
例えば冷戦時代、社会主義国への扉は凍てついた氷のように、また鉄のように閉ざされていた。しかし、資本主義、社会主義の違いは違いとして、「皆、ともに人間ではないか」という次元で交流できないはずがない。私はそう信じていた。

斉藤: 先生が旧ソ連へ行かれた時も、「なぜ宗教者が宗教否定の国に行くのか」など、多くの非難がありましたが、先生の答えは明快でした。「そこに人間がいるからです」と。
これこそ現代における「人開会」ではないかと感動したことを思い出します。

遠藤: その「人間次元での交流」というのが、具体的には文化・教育の交流なのですね。これこそ法華経の実践ですね。

名誉会長: ロシアにも、すべての差異を超えて、人間よ人間に帰れ、と叫んだ文学者たちがいる。例えばトルストイであり、ドストエフスキーです。

須田: ドストエフスキーは、ヴォロビヨヴァ博士と同じ、サンクトペテルブルク(レニングラード)の生まれですね。

名誉会長: その通りです。
当時、知識人、いわゆるインテリたちは、ヨーロッパの思想に傾倒する「西欧派」と、国粋主義的な「スラヴ主義派」にわかれて対立していた。
ドストエフスキーは彼らを、ともに、民衆から分離した「不幸な放浪者」と呼んだ。そして叫んだ。
「おお、わが国のスラヴ主義とか西欧主義とかいうものは、歴史的に必然なものであったとはいえ、要するに、すべて大きな誤解にすぎないのである」(『作家の即記』米川正夫訳)
「ロシヤ人の使命は、疑いもなく全ヨーロッパ的であり、全世界的である。真のロシヤ人になること、完全にロシヤ人になりきることは(この点をはっきり銘記していただきたい)、とりも直さず、すべての人々の同胞となることである」(同)と。
「『人間』になりきれ」「そうすることによって、すべての人の友となれ」と呼びかけたのです。

遠藤: 先生が、レニングラードのエルミタージュ美術館を訪問された時の印象記を思い出しました。
「遠い将来、私たちの孫のまた孫の、後続の幾世代を経たあと、人々がそこに発掘するものは、つねに『人間』なのである。
そのときには、社会主義とか資本主義とかいう体制の次元をはるかに越えて、人類がいかに人間らしい文化を生み出したのか。
その創造性の奥にひそむ人間生命の輝きこそが、人々の胸をとらえるであろうことは、予想に難くない」
今から二十年以上も前のことです。その通りに、人類は向かいつつあります。

斉藤: ドストエフスキーの思想も、池田先生が一貫して切り開いてこられた「人間主義」「世界市民」の潮流に通じているように思えてなりません。

名誉会長: ロシアは偉大な国です。あれほどの世界的な文学を生み、音楽を生み、そして社会主義という壮大な実験を経て、新しい人類史を開こうとしている。
ロシアの人々は、人類の先駆です。これから人類が経験するであろう悩みを、先んじて背負っておられると思う。ゆえに悩みは大きい。使命も大きい。
「すべての人々の同胞となる」。何と素晴らしい使命感であることか。我々は、もっともっと、ロシアの崇高な精神を学ばねばならない。
ところで、五百弟子品といえば、「衣裏珠の譬え」を語らないわけにはいかないね。