投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2015年 1月16日(金)08時38分10秒  

「観心本尊抄」の最後の結論を大聖人は次のように語りました。
「一念三千を識らざる者には、仏・大慈悲を起し、
五字の内に此の珠を裹み、末代幼稚の頚に懸けさしめ給う」(二五四頁)

――一念三千を識(し)らない末法の人々に対して、仏は大慈悲を起こし、
一念三千を本尊として末代幼稚の首に懸けよう――と。

ここで大慈悲を起こした「仏」とは誰のことなのか。
この問題を「開目抄」と「観心本尊抄」を合わせて読んでいくと、その「仏」は、
法華経身読を通じて「主師親の三徳」を自ら体現した「一念三千の体現者・日蓮大聖人」ということになります。

これは今までの「釈尊観」の革命的転換といえるものです。
つまり、釈尊は遠く彼方の目標でもなく、過去の聖者でもなく、上から降りてくる救世者でもなくなり、凡夫の私たち自身が、釈尊を体得していける「道」が大聖人によって開かれたと言えるのです。

それまでの釈尊観は、崇拝のあまり超人化され、造物主のような絶対者にまで肥大していました。
それを凡夫の身である大聖人が「主師親の三徳」を体現したことは、
それらの幻想の釈尊観を捨て、かつてインドで実在した釈尊の身の丈にまで引き戻したといえるでしょう。もちろん「釈尊の法華経」と「大聖人の法華経」は、決して同じではなく説く法も違います。

しかし、釈尊がインド中を歩き回り、人々の悲哀の声をひたすら聞いていた姿と、
末法の混乱の世にあって、庶民の中に分け入って人々の悲哀を自らの悲哀とした大聖人は驚くほど似ています。

大聖人は
「行者、仏法を弘むる用心を明さば、夫れ仏法をひろめんと・をもはんものは必ず五義を存して正法をひろむべし」(四五三頁)と訴えました。
ここに「行者」とありますが、これは五義を用いる「法華経の行者」が主語になっています。

また伊豆流罪期に著した教機時国抄では
「之を用いざるは外道と知るべき」
「仏教を弘むる人は」
「末代の凡師」
「仏教を弘めん人は」(四三八頁)

等々と、くどいほど「人」が強調され、
「己上の此の五義を知つて仏法を弘めば、日本国の国師と成るべきか」(四四〇頁)と締めくくっています。つまり、五義を知る人が「国師」という社会をリードする指導者であるということです。

そして「三類の敵人を顕さずんば法華経の行者に非ず。之を顕すは法華経の行者なり」(四四二頁)と示し、五義が「法」を知る観点だけでなく「法華経の行者」が誰であるかという
「人」を知る重要な観点であることが示されました。

さらに、佐渡流罪で著した開目抄で「三類はすでにあり、法華経の行者は誰なるらむ。求めて師とすべし」(二三〇頁)と訴えています。
このつながりを見ていくと、ここに示された原理は「師」を求める視点が「五義」に示されているといえます。

大聖人滅後において、これらの諸御書や、特に「立正安国論」「開目抄」「観心本尊抄」の三大部を、わが身に引き合わせ、それを自覚し、御本尊を流布し、世界に日蓮仏法を宣揚した人は誰なのか――。