投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2015年 1月16日(金)08時37分16秒  

開目抄には、天台の法華文句の注釈書(東春)を書いた智度法師の
「是れ出家の処に一切の悪人を摂す」(二二四頁)を二度も引いて、僭聖増上慢の名を明らかにしました。当時、京都で国師と崇められていた禅僧の「弁円」や、
鎌倉で生身の菩薩として崇められていた極楽寺「良観」です。

大聖人が罰論をいうことについては、信徒や庶民に対して「罰を受ける」「それは罰だ」と言ったことは一度もないのです。もちろん病気や事故で倒れた人に「罰だ」と言ったこともありません。

御書を注意深く読んでいくと、大聖人が罰論を振りかざした相手は、例外なく為政者や人の師範たる僧侶に対してでした。為政者の道理に反した政治は、内部争いを呼び起こすだけでなく、
天変地異という災害をより大きなものにします。

天変地異そのものは自然現象ですが、多くの災害は為政者の悪政が引き金となっています。
その犠牲者はいつも民衆です。
本来、罪のない民衆が、真っ先に犠牲になってしまう。
戦争の被害はその最たるものです。
これを大聖人は「総罰」と呼びました。

だから大聖人は為政者や権力者に対して、厳しい「諌暁」を断行したのです。
それと合わせて僧侶の謗法への呵責は激烈でした。
謗法の僧侶の罪悪は、単に仏法を破壊していくだけではなく、
悪知識として人々の活力を削っていき、人々を誤った方向へ引っ張っていくからです。

もっといえば、人々の生命力を奪い、権力の餌食にしてしまうのです。
だから彼らの謗法を徹底的に呵責したのです。
それに対して、信徒や民衆にはどこまでも優しい大聖人でした。
一緒に泣きながら題目をあげ、その人の生命力の回復をじっと待ち、
信徒や民衆が幸せになることを常に祈ってくれていた大聖人。
その大聖人が唯一、信徒に向かって罰を言ったのは「同志を互いにそしるな」ということでした。

「法華経をば経のごとく持つ人人も、法華経の行者を
或は貪瞋癡により、或は世間の事により、或はしなじなのふるまひによつて憎む人あり。
此は法華経を信ずれども信ずる功徳なし、かへりて罰をかほるなり」(一二四七頁)というものです。

こう見ていくと、大聖人の「立正安国論」の予言は、
打ち続く災害に打ちひしがれ、さらなる不安と戦っている当時の民衆の側に立って、
その不安と恐怖によって来る「原因と正体」を明確にし解決方法を示したものだとわかります。

それは、不安をかき立てたのではなく、逆に人々に希望と安心感を与えたものでした。
だから大聖人に帰依し、信奉した人々が特定の年齢層に偏ったものではなく、
夫婦や親子を核とする家族を基盤として広がり、社会に根付いていったのだと考えます。

また「同志打ち」の争いに大聖人が厳しい態度をとったのもその表れだと思います。