投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2015年 1月15日(木)10時00分6秒  

大聖人はその「闘諍の時」「白法隠没の時」に、
全民衆を救うため地涌の菩薩が出現し、本尊を建立すると断言しました。
この地涌の菩薩こそ「法華経の行者 日蓮大聖人」であることは明白です。

広宣流布の起点となった日本で「広宣流布」と「闘諍」が深く結びついていることがよくわかります。この方程式ともいうべき指標を、大聖人は端的な言葉で表現しています。

それが「当に知るべし、此の四菩薩、折伏を現ずる時は賢王と成つて愚王を誡責し、
摂受を行ずる時は僧と成つて正法を弘持す」(二五四頁)という文です。
この文を「時代性」と「学会幹部」に置き換えて読み解けば、どうなるでしょうか。
まず「此の四菩薩」というのは、根源の法を守り、それを弘めていく「使命の人」と捉えることができます。

時代性から読めば、大聖人の時代は「今の自界叛逆・西海侵逼の二難を指すなり」(二五四頁)とあるように、立正安国論で予言された「蒙古襲来・二月騒動」の時です。
事実、大聖人は民衆の中に入り、正法を弘め、為政者を誡責し、弟子たちに正法を弘持しました。

それから大聖人滅後、《正・像・末》という推移(時が経つにつれて状態が変化)をたどり、日興門流が正法を護持しつつも、世界大戦という最悪の「闘諍の時」「白法隠没の時」に創価学会が出現し、
創価三代の仏法指導者の指揮のもと「愚王を誡責」し、世界に向かって大聖人の正法を弘めました。
これは歴史が証明しています。
ここから見えてくるものは、普遍的で根源的な法理でないものは、すべて時代とともに変化し、
力を失い、消えていく「正・像・末」の三時の変化をたどるということです。

今度は、学会幹部に置き換えていえば、
もし学会内で「愚王(愚かな指導者)」が出た時は「賢王(正義の指導者)」となって愚王を誡責するということです。
そして会員を守り、信心を教え、師匠の思想を守るということではないでしょうか。
七百年の伝統を持つ日興門流の一派・大石寺は、かろうじて大聖人の法門を護持していました。
しかし、時代の推移とともに「愚王(愚かな指導者)」が出ました。

その名は「六十七世 日顕」です。
その時「賢王(正義の指導者)」となって誡責したのは誰なのか。
会員に大聖人の法門を教え、弘持してきたのは誰なのか――。

この御聖訓の一節を身読したのは、まぎれもなく創価三代の師匠です。

その弟子という自覚があるならば、愚かな指導者や、愚かな幹部を呵責するのは当然のことです。

・・・・明日につづく。