投稿者:まなこ   投稿日:2015年 7月11日(土)12時52分32秒     通報
§五百弟子受記品§・§授学無学人記品§
■ 声聞たちの目覚め —- 何と素晴らしき「大願の人生」

斉藤: 過日(1996年2月16日)法華経研究家の ヴォロビヨヴァ博士(ロシア科学アカデミー東洋学研究所)と池田先生との会談に同席させていただきました。
お話は本当に感動的でした。
博士は、若くしてご主人に先立たれてしまった。しかし、懸命にご子息を育てながら、四十年もの長きにわたって、こつこつと法華経を研究されてきました。しかも、社会主義政権下です。仏教研究が容易だったとは思えません。
国境を超え、境遇を超えて、多くの人の心をとらえる、法華経の普遍性を確かめる思いでした。

名誉会長: 博士は人格者です。人柄も実に謙虚な方であった。その人間性ゆえか、法華経の特徴を、深く、つかんでおられる。お話をしていて、よくわかります。
法華経の真理といっても、人間の心を離れてはありえない。才知だけでは絶対につかめません。法華経に脈動する人間讃歌の心をどうつかむか。そこに法華経研究の魅力もあり、また難しさもあります。博士は、その点、心に触れる法華経研究を成し遂げておられる。

須田: 法華経がなぜ多くの人に受け入れられ、広まっていったのか。この点についての博士の答えも明快でした。
法華経がもたらした、まったく新しい考え方、それは「人間は本来、自由であり、自分の力で運命を切り開けるし、人間の運命は変えられるという考え方です」と。「この法華経の思想は、人々を内面的に解放しました。そこが多くの人々を魅きつけていったのだと思います」と述べられています。

斉藤: この「法華経の智慧」でも、さまざまな角度から、明らかにされてきたところですね。

遠藤: 二十一世紀に果たす法華経の使命についても、博士の言葉は印象的でした。
「法華経は、人間の一人一人に『なぜ、私はこんなことをしているのか』『自分は、いずこへ行くのか』、また『人類は、いずこへ向かうのか』等と思索させます。人々が考え始めるのです。それが法華経の使命であると考えます」と。
これはまさに、この座談会のはじめ(『法華経の智慧第一巻』)で「哲学不在の時代を超えて」と題して、先生に語っていただいた法華経観です。

斉藤: 博士は、「池田(SGI)会長と学会のおかげで、私の研究に命が吹き込まれました。真に人類の役に立つものになったのです」と言われていました。その言葉に、“人々のために”という使命感が、にじみ出ていて、心が洗われる思いでした。

名誉会長: “人々のために”それが本当の大学者の心です。また、どんな分野であれ、その心なくして大きな仕事ができるはずがない。
この心が忘れ去られているのが現代です。

須田: 「人の幸せは自分の不幸」「人の不幸が自分の幸せ」と放言する人さえいます。

斉藤: そういう人は、競争社会に毒された悲しい犠牲者ですね。

名誉会長: 本当は、人のために生きることは、自分の幸福のためにも不可欠なのです。

遠藤: 深層心理の研究で有名なユングなどの心理学者たちは「理想的な人生」を、おおよそ、こう描いています。
「幼年期」には、両親など周囲の人々の愛に包まれて安心感があり、「青年期」には、より高きもの、神聖なものを求めて努力する。「中年期」には他者に奉仕し、「老年期」には希望や智慧などの内面性に生きて、人生そのものを絶対的に肯定できる。そういう人生が完全に幸せな人生である、と。

名誉会長: 高きものを求めて努力し、他者に奉仕して、人生を完成させる。仏法の「菩薩」の生き方に通じる。この「菩薩」の生き方を復活させることが二十一世紀の根本課題なのです。