投稿者:まなこ   投稿日:2015年 7月10日(金)08時47分38秒     通報
■ 三千塵点劫 —- 長遠の師弟関係の始まり

斉藤: 化城喩品のキーワードは「因縁」です。

遠藤: 「因縁」というと、今では、「因縁をつける」とか(笑い)、「因縁話」とか(笑い)、あまり良いイメージで使われていないようです。もちろん、それは仏教本来の「因縁」(原因、条件、いわれ等)ではありません。

斉藤: 化城喩品の「因縁」は、釈尊と声聞の弟子たちとの過去世からの深い「結びつき」であり、師弟の「絆」を明かしたものです。
だから、サンスクリット語の法華経ではこの品の題名は「過去世からの結び付き」(プールヴァ・ヨーガ)とあります。また、竺法護訳の『正法華経』では、三千塵点劫という大昔について説いていることから「往古品」(大昔の章)と訳されています。
羅什三蔵が「化城喩品」と訳したのは、この品の後半で有名な「化城宝処の譬え」が説かれるからです。

名誉会長: 釈尊は今世だけでなく、果てしない過去から、うまずたゆまず、一貫して弟子の声聞たちを導いてきた。そういう過去からの「因縁」を教えたのです。
“今世だけのことではないのだよ。いつも私は君たちと一緒だった。君たちはいつも私と一緒だったのだ”この熱いメツセージが、声聞たちを目覚めさせたのです。
そして彼らは、小乗の悟りをもたらす二乗の法は方便であり「化城」だったのだ、成仏という「宝処」こそ本当の目的地だったのだ、お師匠さん(釈尊)は、その宝処に我々を連れていってくれるために、これほどまでに忍耐強く、これほどまでに慈愛深く、これほどまでに巧みに導いてくださったのだと感動するのです。
これが「化城宝処の賛え」の意義です。
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化城喩品から
「導師、此の人衆の、既に止息することを得て、復疲倦無きを知って、即ち化城を滅して、衆人に語って、汝等、去来宝処は近きに在り。向の大城は我が化作する所なり。止息せんが為のみと言わんが如し。
諸の比丘、如来も亦復是の如し。今汝等が為に、大導師と作って、諸の生死、煩悩の悪道、険難長遠にして、応に去るべく、応に度すべきを知れり」(法華経p344)

指導者は、この人々がすでに(化城に)とどまって休息することができ、また(長い距離を進んできた)その疲れもなくなったのを知って、すぐにその化城をなくして、人々に語って言った。
「あなたがたよ、さあ、宝処は近くにある。さきに現れた大きな城(=化城)は、私が神通力でつくり出したものである。そこで休息するためにだけあったのだ」と。
多くの比丘たちよ、如来もまた、この通りである。今、あなたがたのために、偉大な指導者となって、もろもろの生死の苦や煩悩に満ちた悪道が、険しく困難で、長く遠くまで続いているけれども、どうしてもそこを通り、そこを越えねばならないことを知っているのである。
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須田: それで、化城喩品という題名でよいわけですね。
師弟の関係の長さを説いた「三千塵点劫」とは、気の遠くなるような長遠の時間です。次のように説かれています。
まず三千大千世界*にある大地を全てすり潰して塵にし、東方に向かって千の世界を過ぎたところで一つの塵を落とします。さらに千の世界を過ぎたところでまた一つの塵を落とし、同様にして全ての塵を落とし終わるところまで行きます。そして塵を落としたところと落とさないところを問わず、それまで経過した範囲の全ての世界をまたすり潰して塵とし、その塵の一つを一劫**と数えるというのです。
数えるといっても、数えきれるものではありません。そもそも、最初にすり潰す三千大千世界は、古代インドの世界観で言えば全宇宙ですし、今日の天文学の知識に当てはめれば、太陽系を十億も集めたほどの広大な世界となります。また、一劫という時間も計り知れない。過去世の因縁を明かすにしても、どうしてこのような久遠の過去まで遡らなければならないのでしょうか。
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* 「三千大千世界」は、古代インドの宇宙観・世界観。倶舎論などによると須弥山を中心に太陽や月、衆星を含む世界を小世界とし、千個の小世界で小千世界、小千世界が千個集まったのが中千世界、中千世界がさらに千個集まったのが三千大千世界であるとされる。つまり、三千大千世界には十億の小世界が含まれる。

** 「一劫」の長さについては、さまざまな譬えをもって説かれる。例えば、龍樹の『大智度論』によれば、四千里四方の石山を百年に一度柔らかい布で拭き、石山が磨り減ってなくなるまでの時間を言う。また、四千里四方の城を升にして芥子粒(芥子菜の粒子)を充たし、百年に一度、一つの芥子粒をその升から取り出して取り尽くすまでの時間という説もある。
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遠藤: それについて天台は「化導の始終」、つまり弟子たちに対する釈尊の化導の始めから終わりまでを明かすのが化城喩品であると言っています。始まりは三千塵点劫の昔、終わりは今の法華経の説法です。

名誉会長: その「始まり」に鍵があるのです。「始まり」に何があったのかがわかれば、今、法華経で成仏の教えである一仏乗を説く意味もわかる。
結論的に言えば「下種」が重要なのです。
日蓮大聖人は「三千塵点劫の時に仏果の種子を下種し、法華経に至って種子を顕し開顕を遂げる」(御書p284、趣意)と仰せです。
種を植え(下種)、育て(熟)、実りを得る(脱)。成仏という果実を今、「授記」によって約束するに当たり、その原点である「下種」の時のことを教えているわけです。
では下種の時とは、どういう時か。釈尊の化導の始まりに何があったのか。まず、化城喩品の説くところを追ってみたらどうだろうか。

斉藤: はい。化城喩品では、初めに、仏の出現が説かれます。仏の名は「大通智勝仏」です。また、この仏の国土は「好成」といい、その時代(劫)は「大相」と名づけられています。これらの名に、この時代がどういう時代であったかがうかがえます。
「大通智勝仏」という名は、“大いなる神通と智慧によってもっとも勝れた仏”という意味で、この仏が“智慧の完成者”であることが示唆されています。
また時代の名である「大相」は“偉大なる姿”という意味であり、国土の名である「好成」は、よき生成、良き生誕、良き起源等の意味になります。

名誉会長: 大通智勝仏という、大いなる精神的指導者が世に出現し、これから新しい偉大な時代が形成されていく、そういう“始まりの時”を表しているのでしょう。
新しい時代が始まる時には、いつも精神の変革者が現れる。自身が精神の新しい次元を開き、旧思考にとらわれた人々の心を解放する。あるいは、目に見えない形で深い精神的影響を与えていくのです。
私どもも、先覚者の誇りをもって前進したい。大聖人は「南無妙法蓮華経と唱え奉る行者は大通智勝仏なり」(御書p733)と仰せです。

須田: その大通智勝仏の成仏について、化城喩品では、かなり詳しく説かれています。
ここで、わかりにくいのは、大通智勝仏が道場に坐して魔軍を破った後にも、十劫もの間、成仏しなかったと説かれていることです。
「其の仏、本、道場に坐して、魔軍を破し已って、阿耨多羅三藐三菩提(無上の悟り)を得たまわんとするに、而も諸仏の法、現在前せず。是の如く一小劫、乃至十小劫、結跏趺坐して身心動じたまわず。而も諸仏の法猶在前せざりき」(法華経p313)とあります。

名誉会長: 魔軍を破るとは、根本的には煩悩に打ち勝つことを意味していると思われる。しかし、煩悩に勝つことだけが悟りではない。それは悟りの一面です。衆生を救う慈悲と智慧が現れてこそ本当の悟りなのです。
化城喩品は声聞たちへの説法です。声聞たちは、煩悩を断じて静寂な境地に入ることが悟りだと思っている。仏の真の悟りは、それとは違うことを示すために、あえて大通智勝仏の成仏をこのように描いているのかもしれない。
もちろん、慈悲・智慧といい、煩悩といっても、「空」であり、実体論的にとらえてはならないことは言うまでもない。
その上で、わかりやすく言うならば、仏の悟りは、煩悩を「断ずる」のではなく、慈悲と智慧が、煩悩や業を「包み返す」のです。「煩悩・業・苦の流転」を押し返して、「慈悲と智慧の清流」になる。生命の「悪の波」を「善のうねり」へと変える。
煩悩に煩わされないという意味では静寂で澄みきった境地だけれども、同時に真の躍動があるのです。それは大海のごとき境涯です。いかなるときも、深みでは絶対の静寂と安定がある。
そしてつねに「善のうねり」が生命に躍っている。妙法の働きが「如如として来る」から如来です。これが、妙法と完全に一体化した仏の悟りの姿です。

遠藤: 面白いのは、その十劫の間、諸天が大通智勝仏を供養し続けます。とう利天は壮大な獅子座(仏が座る所)を供養し、梵天王たちはつねに天華を降らせ、四天王たちは天鼓を嶋らし続けます。いわば無上の悟りを得ようとしている仏への“応援団”です(笑い)。

名誉会長: 衆生の代表である諸天が“応援団”になったというのは、仏の出現を待つ衆生の心を表現しているといえよう。
広げて言えば、学会の音楽隊、鼓笛隊をはじめ、すべての合唱団、音楽グループなども、個人の成仏へ、広宣流布へと励ましていく応援団です。諸天といっても、遠いところにいるのではありません。

遠藤: 大通智勝仏が無上の悟りを得た時に、世界中が日月にも勝る光で満たされます。

名誉会長: 仏の生命に妙法が浸透し切り、衆生を救う広大な慈悲と無量の智慧の香りが、全宇宙に向かって放たれたのです。光は、そのシンボルでしょう。