投稿者:まなこ   投稿日:2015年 7月 9日(木)20時13分29秒     通報
§化城喩品§
■ 因縁 —- 永遠なる「師弟の絆」「人間の絆」

須田: ある壮年部の方が、しみじみ言っておられました。
「今の世の中、情けないことばかりだ。政治家たちは責任をなすりあい、自分の地位を守るのに汲々としている。嫉妬と無責任、無感動、無慈悲が、大手を振って歩いている。
そんな日本にいて、本当に情熱をもって理想に生きている人は、何人いるのだろうか」と。

名誉会長: 多くの民衆の思いを代弁していますね。
ちょうど百五十年前(一八四六年)、「現代は情熱のない時代だ」と、キルケゴール(十九世紀のデンマークの哲学者)は言いました。
「現代は本質的に分別の時代、反省の時代、情熱のない時代であり、束の間の感激にぱっと燃え上がっても、やがて小賢しく無感動の状態におさまってしまう」(『現代の批判』桝田啓三郎訳)と。
今も彼の時代と似ているようだ。

遠藤: 彼の著作『現代の批判』については、以前、池田先生が、アメリカの青年部に語られました。
情熱がなく、反省的な時代は「妬み」に支配される。それが定着すると、傑出したものを引きずりおろし、人間を水平化させようとするここに、彼の主張の核心があると。

須田: そうでした。鋭く「今」の状況を射抜いていますね。

名誉会長: そう。キルケゴールの思想が国外で注目されだしたのは、彼の死後、半世紀以上たってからです。多くの思想家が、これを現代への予言書として推賞した。ヤスパースは「昨日、書かれたもののようだ」と感嘆したという。
なぜキルケゴールは、これほどまで深く、「現代」を洞察しえたのか。
それは、一つには、彼が自分の寿命が短いことを自覚し、その短い生涯のうちに、なすべきことをなそうと戦ったからです。

遠藤: 権威の聖職者やマスコミの中傷にも、ペンの力で立ち向かいました。そのさなかに、四十二歳で亡くなっています。

名誉会長: 彼は自分で、三十四歳まで生きられないと信じていた。母を亡くし、七人兄弟の五人までを失い、比較的長生きした二人の姉でさえ三十三歳で亡くなっている。その姉以上には、生きられないにちがいないと。
満三十四歳を迎えた時、「奇跡だ。まったく合点がゆかない」と日記に記している。
そして、三十代を中心にした十年余のうちに、およそ四十冊の著書と二十巻におよぶ遺稿を書き残した。『現代の批判』はその一冊です。このなかで彼は、現代の「水平化」を食い止めるには、個人個人が「不動の宗教性を獲得するしかない」と結諭した。
その哲学は“自分自身の使命を知らねばならない。そのために生き、そのために死のうと思える理想を発見することが必要なのだ”との一点に貫かれていた。

斉藤: そうした「理想」「使命」に目覚めさせるのが二十一世紀の宗教ですね。

名誉会長: そう。法華経が現代に贈る「智慧」です。
自分は何のために、この世に生まれたのか。何をこの世でなすべきか。それを衆生に気づかせるために仏は出現したのです。
方便品から始まって、まず仏は「法理」を説きました。舎利弗はわかった。次に「譬喩」を説きました。四人の声聞は悟った。
さらに多くの衆生を目覚めさせなければならない。そのために仏は何を説いたのか。
その智慧の発光のドラマが化城喩品(第七章)です。