投稿者:まなこ   投稿日:2015年 7月 9日(木)12時18分59秒     通報
■ 座談会は楽しき「授記の広場」

須田: そうしますと、座談会のもつ意義は、ますます大きいですね。座談会こそ「人間革命の広場」「生命の触発作業の最前線」ですから。

名誉会長: そこです、強調したいのは。
牧口先生は「大善生活実験証明座談会」と名づけました。「大善生活実験証明」とは、妙法を根幹にした「信心即生活」の素晴らしさ、社会と人々に尽くす「人間革命」の生き方を、だれにも納得できるよう、事実の姿で示そうということです。学会の座談会は、その発祥の時点から、広々と民衆に開かれている。

遠藤: 学会が何をしているか、なぜ発展したかを知りたければ、続けて座談会に出て研究すればいいんですね。「実験はうまくいってますか~」と(笑い)。

名誉会長: 学会の座談会は、社会に「智慧」と「活力」を送る草の根の広場です。
功徳の体験を聞いて決意する。「よくぞ戦い、よくぞ打ち勝ったな。そうだ、私も宿命転換できるのだ。私も頑張ろう!」。
奮闘する友をたたえる。「この人のように、この人を模範に、私たちも成長しようではないか」と。
それが一生成仏への励みになり、広布への使命感を呼び起こす。これこそ、授記と同じ効果でしょう。
その意味で、座談会は、仏子に励まされ、仏子を励ましゆく「授記の広場」とさえ言えるのではないだろうか。

須田: さきほどの、広布功労の同志への顕彰も、同じ意義ですね。

名誉会長: そう。“たたえる”心が“たたえられる”自分をつくるのです。
もう一つ言っておこう。
牧口先生が逮捕されたのは、座談会に出席するために訪れた伊豆の下田であった。そのころ、座談会は特高刑事が監視するなかで開かれ、神札問題等で何度も圧迫を受けながら、先生は一歩も退かれなかった。座談会は、権力に対する精神闘争の熾烈な“戦場”でもあったのです。
また大聖人の宗教改革の闘争も、今の「座談会」とも言うべき対話の集いから始まったと見ることができる。

斉藤: 大聖人ご流罪中、門下の人々は、大聖人からのお手紙を寄り合って読み、大難を乗り越えていきました。その励まし合いの集いも、座談会だと思います。

名誉会長: このように座談会の「伝統」には、大聖人以来、牧口先生、戸田先生以来の
「偉大なる闘争の精神」が込められている。その精神を満々とみなぎらせて、一回一回の座談会を、楽しく、明るく開きゆく意義は、どれほど大きいか。
道なき現代に、人類の幸福への「確固たる軌道」を切り開いていく。この生き抜く「強さ」「明るさ」を、大座談会運動から脈動させたいのです。
「あなたの心」へ!「あの友の心」へ!と。