投稿者:まなこ   投稿日:2015年 7月 8日(水)08時41分26秒     通報
名誉会長: そう。一人一人の人生のドラマが、そこには込められていると思う。

須田: 例えば、最初の迦葉は、光明、光徳と、“光”という言葉が用いられています。
「光明」という如来の名は、梵語では、“光の輝き”という意味あいがあります。「光徳」という国の名は“誉れある世界”“栄光にあふれる世界”という意味です。「大荘厳」という劫の名も“偉大なる輝かしい姿”という意味です。

遠藤: 迦葉は、名門の家柄でしたが、釈尊よりも早い時期に出家し、正しい法を求めて遍歴していました。やがて、釈尊に巡り会い、一目見るなり弟子となったと伝えられています。
釈尊が自分より粗末な衣服を着ているので、自分の衣服を釈尊の使い古しと交換し、それをずっと身につけて、清貧の修行である頭陀行に徹したとされます。弟子たちの中には、粗末な衣服をまとった迦葉を疎んじた、心ない人々もいたようですが、釈尊は正反対でした。迦葉を「修行者の先輩」と仰いで自身と同じ高座に座らせ、「頭陀第一」としようさん称賛しています。

名誉会長: もっとも地味な修行に徹する迦葉を、釈尊は“もっとも輝く人”と見ていたわけだね。

斉藤: 頭陀といえば、薬草喩品(第五章)の後半、鳩摩羅什訳にはない部分にある譬えでは、雪山(ヒマラヤ山脈)の薬草で盲目を治した人が、さらに頭陀行で「千里眼の神通力」を得たとされています。この譬えからも、頭陀行と光明との関連がうかがえます。

名誉会長: その頭陀行の功徳は、「法華経を信解する功徳」を譬えたものです。その功徳とは、未来にわたる“心の光明”を得ることです。それが人間としての“最高の栄光”でもある。頭陀とは、衣食住における“貪りを払いのける”修行です。仏の智慧の光にも“人生の苦悩の闇を払いのける”力がある。この仏のイメージを迦葉の長所と重ね合わせて「光明如来」と名づけたのかもしれない。
大聖人も「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経の光明を謗法の闇冥の中に指し出だす此れ即ち迦葉の光明如来なり」(御書p731)と仰せです。謗法の闇を払いのける妙法流布こそ、最高の頭陀行なのです。

須田: 次に、須菩提への授記では「宝」という言葉がキーワードになっています。国の名前の「宝生」は、文字どおり“宝を生み出すもの”という意味です。また劫の名前の「有宝」は“宝の輝き”という意味です。仏の名前である「名相」は、“名声の様相がある者”という意味です。

遠藤: 須菩提は、有名な「祗園精舎」を供養した須達(スダッタ)長者の甥です。祗園精舎の供養の際に、釈尊に出会って弟子になったとされます。また、出家してからもつねに布施を実践し、無諍第一(心に争いがない境地の人の第一人者)、被供養第一(供養を受けるにふさわしい人の第一人者)とされています。

名誉会長: 布施の実践に優れていたことが「宝」のイメージにつながっているのかもしれないね。
しかし、より根本的には、法華経で真実の「智慧の宝」「生命の宝」を得たことを象徴しているのでしょう。信解品(第四章)では、四大声聞が、自身の生命に仏界が具わっているという発見を「無上の宝聚を求めずして自ら得たり」と喜んでいます。

斉藤: それと関連するかもしれませんが、須菩提は、信解品の冒頭で「慧命須菩提」と呼ばれています。「慧命」とは「智慧を命とする人」という意味で、仏の別名でもある。
また「生命力ある人」「長生きの人」という意味もあります。
須菩提は智慧に優れていました。
釈尊の弟子の中で。解空第一(空の法理を理解することの第一人者)とも言われます。空を説いた多くの般若経典で、釈尊の説法の相手となっています。
とくに「大品般若経」等では、菩薩に対して、仏の完全な智慧(般若波羅蜜)を説くように命じられているほどです。

名誉会長: しかし須菩提自身は、まだ二乗の智慧にとどまっていた。人には説いたけれども、自分が仏の完全な智慧を求めようとはしていなかった。信解品では、そのことを反省している。
そして法華経を聞いて、仏の智慧を得る道、つまり成仏の道に入ることができた。
「無上の宝」を得ることができたのです。それで、仏界という生命の内なる「宝」を輝かせて、「名声高い仏」に成れると授記されたのではないだろうか。

須田: 次に、迦旃延への授記では、劫、国については記されず、「閻浮那提金光」という名号だけがあります。これは“閻浮河から採れた砂金の輝き”という意味です。「閻浮河」とは、雪山の北側にあるとされた理想郷、閻浮の林を流れる河で、そこで採れた砂金は格別に美しく輝くとされていました。