投稿者:まなこ   投稿日:2015年 7月 8日(水)12時10分14秒     通報
斉藤: 迦旃延の肌は、金色に輝いて美しかったと伝えられています。恐らくは、このことを踏まえた名前だと思います。

名誉会長: 慈悲と智慧によって、黄金のごとく輝く仏の人格を示す名前でしょう。
こうして見ていくと、弟子たちの個性を踏まえて命名されていることが、わかってくるね。しかも、個性が仏の徳性として昇華されている。

須田: 最後は、目連です。「多摩羅跋栴檀香」という仏の名前は、でタマーラ樹の葉と、栴檀の木の香」という意味です。どちらも粉にして香料とされ、体にふったり塗ったりしました。また、祭火にくべて使うこともあります。
「喜満」という劫の名前は“安らぎ・喜びに満ちあふれた”との意味です。また、「意楽」という国の名前は“心を楽しませるところ”を意味します。

遠藤: この劫・国・名号は、目連が神通第一とされることに関係があるようです。彼には、数多くの神通のエピソードがありますが、その中で、しばしば壁画などに描かれている話があります。それは、梵天を敬服させ、釈尊に帰依させる話です。
ある時、目連は、天高く梵天たちの住む所にまで上がり、火炎の中で禅定している姿を示す。そのまばゆい光は、世界の創造主とされていた梵天も経験したことがないほど明るかった。目連は「自分は釈尊の弟子だ」と名乗る。梵天は配下を使いに出して、「あなたのような偉大な神通をもった人が釈尊の弟子には多いのか」と問う。「多い」との答えを使いから聞いた梵天は、大歓喜を起こし、釈尊への帰依を誓います。娑婆世界の主である梵天が、大歓喜に包まれたのです。その喜びは、全世界に広がり、満ちたにちがいありません。

名誉会長: 弟子が自身の姿を見せることによって、師匠の偉大さを教える。これほど師匠にとっても弟子にとっても、誉れあることはないでしょう。

須田: 「祭火にくべる香料の名」を目連が成仏した時の仏名としているのは、このエピソードでの“火炎”のイメージが踏まえられているのではないでしょうか。また、その輝きが全世界を喜ばしたので「喜満」「意楽」の劫名・国名が付けられたのだと推測できます。

名誉会長: 大事なことは、自分の個性や人生経験を、すべて仏の徳性として輝かしていけるということです。信心している限り、無駄なものは何一つない。これが法華経の大功徳です。
いずれにしても、その人にぴったりの、素晴らしい劫・国・名号を聞いて、本人も周囲の人も、「本当に自分が成仏できるのだ」「あの人が立派な仏になれるのだ」と実感できたのではないだろうか。授記を聞いた人々に歓喜の輪が広がっていったのも、そのためでしょう。

須田: それをうかがって、学会で行っている功労者の方々への表彰を思い起こしました。私が感動するのは、参加者の人たちが、表彰されている人を心から祝福していることです。そして、自分もあの人のように成長しょうと決意していることです。

名誉会長: 皆の「代表」ですから、一人を顕彰することは、同じ道を進む人全員を顕彰することに通じる。とはいえ、せちがらい世の中で、同志の顕彰を喜び、さらには自分の目標にするというのは、実に尊いことです。こんな世界は、他にはないでしょう。
これは、学会が強き信心の世界だからです。“称賛する心”は確信が生むのです。反対に、“ねたみの心”は、自信のなさが生む。

斉藤: ねたみは、悪しき平等を求めます。“出る杭は打つ”式に他人の足をひっぱって、低いほうで横並びを求める。
称賛の心は、正しい平等を求めます。“あの人もこの人も尊いそしてまた自分も”と、皆が平等に成長していく —- それが仏法者の在り方だと思います。

遠藤: 法華経の世界が、そうですね。“すべての人が成仏できるのだ。その無上の道を、自分も”一緒に歩んでいこう —- 仏が一仏乗を明かすことによって、そういう世界が現出したのだと思います。

名誉会長: その通りです。「一仏果」とは、成仏という目的地へ向かって「間違いなき軌道を行く乗り物」に譬えられる。仏の慈悲を原動力とし、智慧を眼として走るから、正しい軌道を行けるのです。
成仏への正しい軌道に入ることが、法華経の一仏乗を「信解」する功徳です。それを仏が保証するのが「授記」です。その授記が、さらに人々の歓喜を生み、確信を生むのです。そうやって、成仏への無上の軌道を歩む人の輪が広がっていくのが法華経の世界なのです。