投稿者:ジョーカー   投稿日:2015年 7月 7日(火)13時34分0秒     通報
大事な指摘ありがとうございます。
わかりやすい表現を心掛けてはおりますが、たしかに「本・迹」からの展開には無理があり、誤解も招きかねないことだと思います。同じく、「発迹顕本」という言葉も、仏の内証の悟りの世界のことであり、論を展開すること自体が、最初から無理な話であると理解しています。それはかえって仏法を矮小化する危険性を有しています。ですので、学会としては、「人間革命」や「境涯革命」という表現に変え、直接的な言及を避け、マイルドにしているのだと思います。

今一度確認ですが、私が展開する話は、所詮は私論であり、仏法の広大さを表現しているものではなく、あくまでも仏法の一分でしかありません。ですので、鵜呑みにするのではなく、考え方の参考程度という位置づけとなります。「なんか若いやつが、自論を展開してんな」くらいの物としてとらえていただければと思います。

本来、御本尊と衆生に本も迹もありませんし、正義の走者様の仰るように「父親と母親のどちらが大事?」という答えようのない問題でしょう。沈黙こそが答えではありますが、もう一歩進んで、現実にどちらかしか助けられない事態に遭遇した時、どちらを助けるのかを選択しなければならないのが現実であり人生です。これは答えが決まっている問題ではなく、自身が決断しなければならないので、軽々なことは言えません。本当の意味で物事を考えるということは、答えの出せない問題に、あえて答えを出していくということなのかもしれません。
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