投稿者:ジョーカー   投稿日:2015年 7月 6日(月)22時20分4秒     通報
>目的は、「世界宗教としての基盤」です。
創価学会の基盤は三代の歴史であり、池田先生の指導ではないでしょうか。

今、一番重視すべき事項は、創価三代の精神をいかに継承していくかということであります。その中で、御本尊の教義変更を強行してしまうと、何がなんだかわからなくなります。継承すべきこの時に、早くも先生の指導が過去の遺物となってしまっては混乱を招く。この指導は採用、この指導は不採用と立て分けていかなければならないわけであり、すっきり学ぶことができなくなる。

御本尊に関してはまだまだ時間のかかる問題であり、簡単に結論を出せることではありません。そして、時間をかけていいわけです。安易な教義変更は、「余計」な教義論争を生むだけであり、邪魔である。そして、他宗はそれを見逃してくれず、永遠と攻め続けられるわけです。それに対して、「教義のベクトルは変えたけど、構築するのはこれからです」では危険であり、小さな宗教団体ならまだしも、大宗教団体においては、隙をつくるだけである。領土問題並みにややこしい問題に、不用意に飛び込むとはいったいどういう了見なのだろうか。

教義変更で、大御本尊を中心とした人間革命も非常に読みづらくなりました。創価学会は、「大御本尊は存在しない」という立場をとってしまったわけですが、こうなると人間革命をいちいち解釈変更しながら読まなければならないわけであり、新入会のメンバーや、教学に疎いメンバーには無理でしょう。そして、何だか煩わしく、先生の指導もすんなり入ってこなくなるのではないでしょうか。これでは創価三代の精神を継承する上での障害となり得てしまう。

歴史を安易にひっくり返すと混乱を生みます。水面下では早くも創価三代会長離れが進んでいるように思います。気づかれないようにちょっとずつ離れていきますので、見逃してしまいます。先生中心といっておきながら、教義変更は先生の意向通りでなかったり、ちょくちょくおかしなことになっている。口では師匠を称えながら、行動はなんだか怪しげ。さて、どちらが本当の姿でしょうか。師を讃嘆しながら、師の心を死(ころ)しているのかもしれないですので、要注意です。