投稿者:ジョーカー   投稿日:2015年 7月 5日(日)09時32分8秒     通報
・虹と創価家族様、信濃町の人びと様

創価学会の本尊義が、いかなるものになったのかを、今一度確認してみましょう。
真筆も書写も含めて、すべてを本門の本尊としたということは、つまるところ創価学会の本尊は「どれでもいい」ということになりました。御本尊の自由化です。
だが、それでは無秩序状態となってしまうので、ある一定のルールを設けることになりました。それは、御本尊は創価学会(執行部)が認定するというものです。いかなる本尊でも、信心さえあれば功徳を出すことは可能ではあるが、その中において、創価学会(執行部)が認定したものだけを本尊とする。まあ、簡単に表現するとこのような本尊義になったのでしょう。

随分と浅い本尊義であり、大御本尊という完成された本尊義に比べたら、深みが全くない。認定基準も曖昧であり、それは時の執行部の裁量次第で本尊を変えることが可能であるということです。そして、教学部レポートにもあるように、執行部がパワープレイで強行したら、誰にも手に負えないという事実もわかりました。創価学会の本尊ルールというのは、唯々、「執行部の裁量」であり、執行部が白と決めれば白、黒と決めれば黒という、極めて単純な本尊義となりました。

大御本尊を中心とした、創価初代、二代、三代会長の本尊に関する指導は、過去の遺物になってしまったのです。魔王の心理としては、これを機に、気づかれないように徐々に、三代会長離れを会員にさせていくことでしょう。御本尊も自由化されたので、そのうち「手書き本尊は古い。最新のコンピューター技術で、立体的な3D本尊をつくろう」や、「他宗の法主の書写した本尊を拝むのは違和感がある。私(会長)が書写した本尊を公式本尊としよう」などと言い出すかもしれない。そうなったとしても、もっともらしく言えば、会員は「そうかもしれないな」と頷きかねない。

学会の活動家は、「長の一念に呼吸を合わせること」を大事にするし、そのように訓練されている。打ち出しに忠実なのはそのためである。魔王はこの心理を利用します。魔王というのは常に、人間の善意につけこみ、コントロールしていく「他化自在天」です。巧みに相手を操る生命というのは、実にずる賢く、善意を利用する。まったくやっかいなものです。

現在の学会の中枢というのは、暴走したら手に負えないという第六天の魔王の土壌となってしまったと、私は見ています。私が魔王であれば、本尊義を利用して、三代会長から会員を切り離すことを画策するでしょうし,いくらでも悪知恵は働きます。悪というのは善人の想像を超えた発想と心根を有しているので、「まさかそんなことはしないでしょう」を実行に移すからこそ魔王なのです。

去年の11月8日からは創価学会は「新創価学会」として出発しました。本尊義の180度の転換は、まったく違う宗教になったも同然です。それだけ本尊義というのは重要なものであり、解釈変更レベルではなく、抜本的に変わったわけです。過去を捨てたからこそ「整合性なんて関係ない」という台詞が飛び出すわけです。さて、それが吉と出るか凶と出るかは、これからといったところでしょう。宿坊の掲示板はそこに問題意識を持ち、より良い方向へと学会が進んでいけるように、智慧を出し合う場です。そのために、組織悪の側面や、幹部の悪行から目を逸らさない姿勢を貫いているわけです。