投稿者:まなこ   投稿日:2015年 7月 6日(月)19時17分14秒     通報
■ 繚乱たる「人華」広がる世紀へ

斉藤: 多様な個性の人々を等しく潤すのは、智慧即慈悲の大境涯なのですね。

名誉会長: そうです。師匠である仏の慈悲に潤されるのです。そして自身も慈悲の当体として成長するのです。人間を潤すのは人間です。生命を潤すのは生命です。
薬草喩品の最後には「仏の所説の法は 譬えば大雲の 一味の雨を以って 人華を潤して各実成ることを得せしむるが如し」(法華経p292)とあります。
私は、この「人華」という言葉が好きです。個性を持った一人一人の人間の開花というイメージが強く出ています。
釈尊には、どの人も桜海桃李の果実を実らせる、色とりどりの花のごとく見えたのではないだろうか。その「心」を薬草喩品では学びたい。
これは「多様性の調和」という二十一世紀の根本問題に直接、かかわってくる。多様な民族・文化が、その多様さを尊重しつつ、同じ「人間」「生命」という次元で連帯していく。それなくして人類の未来はない。多様性が世界に「対立」をもたらすのではなく、「豊かさ」をもたらすようにしなければならないのです。
そのカギが法華経の人間主義にある。その具体化は「慈愛の人格」です。
ガンジーが、インドの独立運動で、あれほど多くの民衆を動かせたのはなぜか。私は、その根本の要因は、ガンジーの人格にあったと思う。真理に生き、戦い抜いて、磨かれたガンジーの人格が、民衆の心を潤したのです。象徴的なエピソードがあります。
ある重大な政治会議が始まろうとしている時に、ガンジーがそわそわと物を探していた。側にいた人が「何かお探しですか」と尋ねたところ、「エンピツをなくしましてね」とガンジーは答えた。側の人は時間がないので「これをお使いください」と代わりの鉛筆を差し出すと、ガンジーは「わたしは、あのエンピツをなくしてはならないのです」と言って、探し続けた。やっと見つけた鉛筆は三センチほどの使い古したものだった。その鉛筆は、小さな子どもがガンジーの運動のために寄付してくれたものだったのです。(森本達雄著『ガンディーとタゴール』)
彼にとって、ちびた鉛筆は鉛筆ではなかった。美しい「心」そのものだった。だから捨てられなかったのです。
人々から「マハトマ(偉大な魂)」と尊敬されていたガンジーが、一方では「バプー(お父さん)」と呼ばれて親しまれていた秘密が、このあたりにあるのではないだろうか。
私も会員の真心がこもったものは紙一枚、無駄にはしません。日蓮大聖人は、真心の白米を供養された時、こう教えてくださっています。「白米は白米にはあらず・すなはち命なり」(御書p1597)と。
本当の人間の世界においては、物ですら物ではない。命であり、心なのです。いわんや人間自身は、最高にかけがえのない存在です。

斉藤: ガンジーには、民衆への無限の信頼があったと思います。「一人に可能なことは万人に可能である」という信念で、あの「非暴力」の理想を説き、大規模な民衆運動を組織化していきました。

名誉会長: そう。運動や組織というものは、命令や規則で長続きするものではない。いわんや、強制で動かしても絶対にうまくいかない。
一人一人の個性を尊重し、勇気と希望を与え、喜びも苦しみもわかち合ってこそ、多くの人々が団結できるのです。
和気があり、触発があって、真の民衆運動が成り立つのです。

遠藤: 組織というと「型にはめる」というイメージがつきまといがちですが、今の時代に、そんなことで大勢の人がついてくるわけがありませんね。

名誉会長: その通りです。「人間主義」こそ民衆運動の根本原理です。

須田: 創価学会の発展の根底には、生き生きとした人間主義があります。子どものころから学会の庭で育ってきた私たちの偽らざる実感です。

名誉会長: 自然にそうなったのではない。そうなるために、毎日、時々刻々、渾身の力で仏法の慈悲の精神を組織に脈動せているのです。この辛労、この責任感を、学会のリーダーは未来永劫にわたって失ってはなりません。

須田: 組織といっても、核となる「人間」を離れて実体はないということですね。
大聖人の御書を拝しましても、弟子門下の個性、性格を、実に的確につかんだうえで、さまざまな御指南をされていることがうかがえます。
四条金吾が短気な性格であったということを私たちが知っているのも、御書のおかげです(笑い)。

名誉会長: 大聖人がどれほど弟子門下のことを思っておられたか —- その証左です。
四条金吾に対しては、“外では酒を控えるように”とか、“女性にどんな失敗があっても叱ってはいけない、まして争ってはいけない”などと、親が子どもを諭すように、こまやかな心配りをされています。
その一方で、例えば、池上兄弟の兄・宗仲が父親から二度目の勘当にあった時、大聖人は弟・宗長のことを心配されながらも、“今度は、殿は必ず退転してしまうだろうと思う。
退転することを、とやかく言うつもりはまったくないが、ただ地獄に行って日蓮をうらんではならない”というように、一見、突き放した言い方をされている。
こうした言い方は、相手のことによほど通じ、その心をつかんでいないと到底できるものではない。大聖人は、人生最大の岐路に立たされた宗長の心の葛藤を知り尽くされていただけではない。その性格までも手に取るように知悉されていたのでしょう。

遠藤: 特に、遺族に対する励ましなどは、幾つか例がありますが、大聖人はお子さんがおられなかったのに、子どもに先立たれた親の心情というものを余りにも深くつかんでおられるのに驚き、どうしようもなく感動したことがあります。

名誉会長: 本当に偉大な仏様です。一人一人の「現実」をすべて受け止め、同苦してくださっているのです。決まりきった答えを押しつけるような観念的指導では絶対にない。
ゆえに、ある場合は、他の人に対して言われたこととは正反対に見えることも、あえて言われている。
病弱で苦しんでいたが医者にかかろうとしなかった富木常忍の夫人には「智者なれども夭死あれば生犬は劣る」(可延定御書p986)と長寿の大切さを説かれ、治療を促された。
しかし、鎌倉武士であり、「名は惜しむが命は惜しまない」気風の四条金吾に対しては、長寿よりも、仏法と社会の誉れが大切であると強調されています。

須田: 「百二十まで持ちて名を・くたして死せんよりは生きて一日なりとも名をあげん事こそ大切なれ」(御書p1173)と仰せです。

名誉会長: そう。どちらも弟子を慈しむ御心から出た慈悲即智慧のご指導です。どちらも真実です。これが薬草喩品の心です。
四条金吾に対しては、短気な性格を自覚して一日一日を賢明に振る舞いなさい、というお気持ちもあったでしょう。そうでなければ、金吾は命さえ危うい状況だったのです。
御書を子細に拝すると、大聖人のお振る舞いにこそ法華経の人間主義が躍動していることに感動します。法華経と符合するのは、大難を忍ばれる法華経の行者としてのお振る舞いだけではないのです。
大聖人は、民衆を苦しめる権力者たちや、権力と癒着する宗教者たちに対しては、烈火のごとく怒り、厳しく諌められた。従来、それをもって、大聖人の仏法は非寛容だとか、排他的であると言われてきたが、あまりにも偏った見方です。
民衆に対する慈愛のご指導にも、権力者への厳しい諌言にも、生きた人間主義が貫かれているのです。

斉藤: この十年余の先生のスピーチで、多くの御書が拝されてきましたが、一貫して大聖人の人間主義に焦点が当てられています。

名誉会長: 「一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ日蓮一人の苦なるべし」(御書p758)と断言された大聖人の広大なるご境涯 —- その「最高の人間性」を、全世界に伝えたいとの思いで御書を拝し、語ってきました。
薬草喩品の譬えでは、仏の慈悲の大雲は三千大千世界、つまり全宇宙を覆ったと説かれている。どうすれば全世界を御本仏の大慈大悲で潤すことができるか —- 私の一念は、いつも、そこにあります。この「如来行」こそ創価学会の使命だからです。その戦いは、これから本格化する。いよいよ本門に入るのです。
行き詰まった現代世界を開き、蘇生させるために必要なのは「宇宙的視野」であると思う。大宇宙と一体のものとして人間を捉える見方です。大宇宙と一体であれば、自然、
地球とも一体であることは言うまでもない。そういう人間観のもとに社会も国家も民族も捉え直していくのです。
心の窓が閉ざされていては、大きな未来は見えない。窓を開け放つことです。そうすれば、行き詰まりはないのです。
すべての人間は、全宇宙と一体です。全宇宙のあらゆる営みが、一人の人間の独自性を成り立たせている。言い換えれば、一人一人の人間は、「大宇宙」を独自の仕方で映し出す「小宇宙」です。「個人」は、本来、「全人」なのです。
だから、“一人”がかけがえのない存在なのです。
そういう生命の秘密を知る究極の智慧が、仏の一切種智であり、平等大慧です。どの人も、どの生命も、かけがえのない存在として平等と見るのです。
この法華経の人間主義こそ、「次の千年」に必要な「宇宙的ヒューマニズム」であると私は確信します。
タゴールは歌っています。
「昼となく夜となく わたしの血管をながれる同じ生命の流れが、世界をつらぬいてながれ、律動的に鼓動をうちながら躍動している。
その同じ生命が 大地の塵のなかをかけめぐり、無数の草の葉のなかに歓びとなって萌え出で、木の葉や花々のざわめく波となってくだける。
その同じ生命が 生と死の海の揺藍(ゆりかご)のなかで、潮の満ち干につれてゆられている。
この生命の世界に触れると わたしの手足は輝きわたるかに思われる。そして、いまこの刹那にも、幾世代の生命の鼓動が わたしの血のなかに脈打っているという思いから、わたしの誇りは湧きおこる。」(「ギタンジャリ」『タゴール著作集 第一巻 詩集Ⅰ』所収、森本達雄訳、第三文明社)
我が命に宇宙の根源のリズムを鼓動させながら、にぎやかに、楽しく前進また前進していきたいものです