投稿者:ジョーカー   投稿日:2015年 6月29日(月)13時42分2秒     通報
虹と創価家族様
>今の公明党に疑義を持ちながらも「公明党は自民党の抑止力となっています。」と話してきます。

現場では、「自民党の暴走を止めるために、あえて離れずに、自民と組んでいる」という内容で一致していますね。つまり、「権力の中にいながら、権力の暴走を止める(闘う)」という歯止めであり、抑止力こそが公明党であると。なんとも素晴らしい理念であり、多くの活動家もその言を信じています。

私も先日の朝まで生テレビを観ていましたが、公明党が「自民と歩調を合わせる」という理由で、ドタキャンしたことに愕然としました。抑止力という正義を掲げ、権力と闘うという大義があればこそ成り立っていたものが、「歩調を合わせるから欠席」という意味不明な行動。まさに、言っていることと、やっていることが違うではないかと失笑。

正義である自覚があるのなら、しっかり主張していかなければならないのに、まさかの戦場にすら姿を見せないとは、恐れ入れました。国民目線では「逃げた」としか映らない。結局は、抑止という大義名分を掲げていたが、本質は「下駄の雪」ですか。そうであるならば、多くの信じている会員の心を踏みにじることになります。

正義も闘わなければ正義足り得ない。戦場にすら現れない正義など存在するのか。こういうことをやっていると、ますます政治不信が起こり、民衆の支持も得られなくなる。しかもテーマが「若手政治家が日本を変える?」であり、まさに青年創価学会が支援した議員たちが躍り出る場ではないか。これからの日本を担いゆく、若き政治家にふさわしい人物が颯爽と公明党の中からあらわれ、他を圧倒する主張をしていく姿を、学会員は観たかったのではないのか。内容は、圧迫面接さながらの厳しいツッコミの連続でしたが、それに対してどのように答えていくのかを観たかったです。

公明党は果たして抑止という名の正義なのか、はたまた権力に負けた日和政党か。一体どちらでしょうか。支援しているからこそ、学会員は政治に関しては中立的観点で観ていかなければならない。そうでなければ見誤る。中立的観点こそが「政治を監視する」ということである。