投稿者:まなこ   投稿日:2015年 6月26日(金)08時00分40秒     通報
■ 法華経の譬喩の影響力

斉藤: この三車火宅の譬えをはじめとする七譬のほかにも、法華経には、実に多くの譬喩があります。
ざっと挙げてみるだけでも、授記品(第六章)の大王膳の譬え、化城喩品(第七章)の三千塵点劫の譬え、法師品(第十章)の高原で水を掘り出す譬え、寿量品(第十六章)の五百塵点劫の譬え、薬王品(第二十三章)の十喩、妙荘厳王品(第二十七草)の一眼の亀の譬え等々、枚挙に暇がありません。
法華経がなぜ、これほど譬喩に富んでいるのか。それは、インド人の思惟方法にも関係がありそうですが、それ以上に、法華経が「民衆に呼びかける経典」であるからだと思います。

須田: 事実、こうした法華経の卓越した譬喩は、時代や国を超え、多くの人々を魅了してきました。
中国の民衆の問でも、法華経信仰が広がるなかで、法華経を礼讃した感応伝や法華経信奉者の伝を集めた民衆文学(弘賛法華伝や法華伝記)、法華経に基づく説話文学などが発達しました。この背景に、法華経の譬喩のもつわかりやすさや啓発力があったことは容易に想像できます。

遠藤: 断定はできませんが、キリスト教の新約聖書にも影響を与えているという説もあります。例えば、新約聖書にある「放蕩息子の譬え」(ルカによる福音書)には、法華経信解品(第四章)の「長者窮子の譬え」と似た構想がうかがえます。
中村元博士は、そうしたことを断定はできないが、「西洋における愛の宗教が東洋の慈悲の理想の影響を受けて成立したということは、可能である」(「インドとギリシアとの思想の交流」)と述べています。

斉藤: 日本においても、多くの仏典の中で、法華経ほど文学の題材として取り上げられたものはありません。日本に仏教が渡来して、しばらくして、奈良時代になると、知識階級を中心に仏教を取り上げた歌が詠まれるようになりましたが、法華経はあまり題材として取り上げられていないようです。
しかし、その一方では、民衆の問で法華経を取り上げた文学作品が生まれています。善悪さまざまな報いを受けた人々の体験を集めた『日本霊異記』という仏教説話集には、他の経典よりも法華経から圧倒的に多くの話題がとられています。

名誉会長: 日本に伝来した法華経が、奈良時代、エリートの中でよりも、むしろ民衆の中で受け入れられていった。いかにも現実の民衆を救う経典というにふさわしい話だね。

須田: 平安時代に入り、伝教大師が法華経を根本とした日本天台宗を創設したころから、法華経は、中央の知識階級も含め、文学世界でも経典の王座を占めるようになりました。貴族社会でも、法華経の講会が盛んに行われ、法華経は一般教養として欠かせないものとなりました。

名誉会長: 清少納言の『枕草子』では、法華経の説法を中座しようとした清少納言に藤原義懐が「やあ『退くもまたよし』」(お帰りですか。それもよろしい)と皮肉ったのに対して、清少納言が「あなた様も、五千人の中にお入りにならないこともないでしょう」と言い返したことが描かれている。
これは、法華経方便品(第二章)で、五千の上慢が法華経の説法の場から退場したのを、釈尊が「このような増上慢の人は、退くのもよいだろう」と言ったことに基づいた話です。法華経がかなり浸透していたことがうかがえます。

須田: 世界最古の長編小説といわれる『源氏物語』においても、法華経がもっとも多く言及されています。登場人物たちが主催する重要な仏事にも、「法華八講」と呼ばれる法華経の講義が多く登場します。また、物語のなかでは、二十三歳の主人公の光源氏が天台三大部とその注釈書を合わせた六十巻を読んだと記され、法華経に精通しているように設定されています。

斉藤: 有名な“雨夜の品定”の構成が、法華経の「三周の説法」の形式をふまえたものとする学者もいるようですね。

遠藤: 平安時代中期以後には、天皇をはじめ多くの貴族等が法華経各品に題材をとった和歌を残しています。こうした一品経詩といわれる形式は、中国でも盛んであったことから影響を受けたともいわれています。
学者のある調査によると、一番詠まれたのは、やはり方便品、寿量品ですが、その後に続くのは、提婆達多品、そして法華経の七譬が説かれている譬喩品、信解品、薬草喩品、五百弟子品だということです。
例えば、「ゑひのうちにかけし衣のたまたまも昔のともにあひてこそしれ」(選子内親王『発心和歌集』)は、衣裏珠の譬えを素材としています。〈酔っているうちに衣の内側に繋けた珠も、たまたま昔の友に会ってはじめて知った、の意。「ゑひのうち」と「(衣)のうちに繋ける」、「衣の珠」と「たまたま」をかけている)
また、「世の中にうしの車のなかりせばおもひの家をいかでいでまし」(よみ人しらず『拾遺和歌集』)は三車火宅の譬えです。〈世の中はもの憂い。救い出してくれる牛の車がなければ、思いの火に焼かれる家をどうして出ることができようか、の意。「牛」と「憂し」、「思ひの家」と「火の家」をかけている〉

名誉会長: 掛け言葉として自在に使えるほど、法華経の譬喩が人々の間に浸透していたといえるかもしれないね。