投稿者:スーパー摧邪人   投稿日:2015年 6月25日(木)13時11分44秒     通報
御書には二十数ヶ所「出世の本懐」と記されていますが、多くは「教主釈尊の出世の本懐」
又は「三世諸仏出世の本懐」という形で、法華経を指し示す場合が多いようです。大聖人御
自身の出世の本懐として記された部分は多くありません。御自身の出世の本懐を述べられ
たと思われる箇所を以下に挙げてみます。

御義口伝 方便品八箇の大事 第三唯以一大事因縁の事
一とは中諦・大とは空諦・事とは仮諦なり此の円融の三諦は何物ぞ所謂南無妙法蓮華経是なり、此の五字日蓮出世の本懐なり之を名けて事と為す

阿仏房御書
あまりに・ありがたく候へば宝塔をかきあらはし・まいらせ候ぞ、子にあらずんば・ゆづる事なかれ信心強盛の者に非ずんば見する事なかれ、出世の本懐とはこれなり

上記の二書以外には、聖人御難事で「余は二十七年なり」と御自身の出世の本懐を弘安二年に遂げられると申されるために、釈尊、天台、伝教の年数を挙げて申されている部分があ
ります。しかしこの解釈は創価学会により過去のものとされているので、ここでは詳しくは触れないことにします。(後ほど触れます)

このように法華経を賛嘆する形容詞句的に「出世の本懐」を大聖人は多用されています。
ここで曾谷入道殿許御書ただ一書に記された「一大秘法」について見てみますと、「大覚世尊仏眼を以つて末法を鑒知し此の逆・謗の二罪を対治せしめんが為に一大秘法を留め置きたもう」とあります。

どう見ても釈尊の一大秘法であって大聖人のそれではありません。さらに一大秘法そのものが何であるかを述べられた部分は、「所謂妙法蓮華経の五字・名・体・宗・用・教の五重玄なり」とあり、天台が法華経の題目を釈するために用いた五重玄を加えて申されている
ことからしても、この一大秘法は釈尊の一大秘法である法華経を指していると云えます。

ネットを散見すると大聖人の一大秘法は本門の本尊ではなく本門の題目であるとの論が見受けられますが、それはこの曾谷入道殿許御書の御文を誤って解釈したためと思われま
す。上に述べたようにこの一大秘法は釈尊のそれであって、大聖人のものではありません。
御書を読み誤ると邪義を唱えることになるので注意しなければなりません。

教学部の「解説」でも大聖人の一大秘法が「所謂妙法蓮華経の五字」であるように書かれていますが、これはまったく誤った解釈です。御書では大聖人はご自身の一大秘法に関して
は述べられていません。日寛上人は大聖人の出世の本懐である大御本尊を、大聖人の一大秘法として宣揚されたのであって、大聖人と異なったことを云われたわけではありません。

大聖人の出世の本懐が三大秘法であるとは御書にはありません。「解説」では報恩抄の御文を引いて、三大秘法の確立と民衆仏法の確立という解釈をしていますが、これは創価学会教学部の解釈であって御書にあるものではありません。「解説」の表現を借りれば「御書に
はない」です。

従来の教義を御書に直接の言及が無いからといって、こじつけのような解釈で変更しておいて、自らの言い分は御書の御文の援用で糊塗しようとする。独立した教団ですから独自の解釈が許されると云うのであればご勝手にどうぞ。しかしそれは大聖人の仏法ではあり
ません。原田教の教義であれば好きになされるがよろしかろう。しかしその原田教の邪義をもって学会員を地獄にいざなうのはご遠慮願いたい。

阿仏房御書から推知するに、大聖人は御本尊御図顕をもって出世の本懐とされていると思われます。そして聖人御難事で釈迦、天台、伝教の三師を引合いに出して、ご自身の出世
の本懐である大御本尊御図顕を立宗から二十七年目に遂げると宣言されたのです。このように解釈する方が教学部の解釈より、よほどしっくりくると思われます。

私は原田会長や創価学会教学部、そして習い損ないの学者や事務総長の解釈を用いたくありません。日寛上人、畑の猊下(堀日亨上人)の御指南、そして創価三代会長の指導に基
づいて、日蓮大聖人の仏法を学び実践していきたいと考えます。それ故に今回の会則改正とそれに伴う原田会長の趣旨説明、及び教学部の補足解説に異議を唱え、撤回を要求するものです。

長文、失礼いたしました。上記に解釈の誤り、論理の不整合等ありましたらご指摘くださいますようお願い申し上げます。