投稿者:スーパー摧邪人   投稿日:2015年 5月28日(木)13時48分42秒     通報
宮田教授が会則改正を後押しするような論文を書いたと云うので読んでみました。以下
はそれに対する私の感想と考えをまとめたものです。

聖人御難事で大聖人は弘安二年に出世の本懐を顕されたと明確に述べておられます。そ
してそれが、弘安二年十月十二日と日付のある戒壇の大御本尊であることは、云わずもがな
のことであり、敢えて歴代法主が述べなかったとしても不思議ではありません。あまりに当
然すぎることは口に出して云ったり、文章にして残したりしないものです。

それを日寛上人が江戸時代に周囲の状況の要請によって、六巻抄等の文書にして残した
からと云って、それ以前にそのような事実が無かったとするのはあまりに乱暴な論考です。

日寛教学は宗門中興の祖と云われる碩学日寛上人が、大聖人の教えを江戸時代に大きく
展開されたものです。御書に無いのは当然なことです。それを云ったら池田先生の指導も御
書根本に世界へ向けて展開されており、「御書に無い」という難癖を付けられてしまう内容
が膨大にありますでしょう。

池田先生の指導の中に「また、日興上人から日目上人への譲り状である『日興跡条条事』
には、こう記されている。 『日興が身に充て給はる所の弘安二年の大御本尊、日目に之を
授与す』(富要八巻)――(日蓮大聖人より日興が身をあてて給わったところの弘安二年の
大御本尊は、日目にこれを相伝する)――と。
大聖人より、日興上人ただお一人へ相伝されたのが、弘安二年十月十二日にお認めの本門戒
壇の大御本尊であられる。大聖人の出世の本懐であり、化導(仏法を教え、仏道に導くこと)
の究極であり、広宣流布の根本となる御本尊であられる。」(平成3年11月18日 SGI
代表勤行会)とあります。

先生が「日興跡条条事」を引かれて上記のように指導されている限り、大聖人から日興上
人へ、さらに日目上人へと伝わった戒壇の大御本尊が、大聖人の出世の本懐であることを否
定することは、師敵対以外の何物でもないと考えます。

「本尊認定権について」と題された宮田論文は、文献学的に見れば瑕疵の少ない論考とい
うことも出来そうですが、大聖人の仏法を文献学的論考ですべて網羅し、論究し尽くせると
考えているなら大きな誤りです。おそらく宮田教授自身はそのような考えは持っていない
と思いますが、これを論拠に会則改正を推進しようという輩が学会中枢に巣食っているこ
とは想像に難くありません。

そうであればこの論考は文献学を隠れ蓑とした、御用学者の「ためにする」論考と云われ
ても仕方ないでしょう。おそらく中枢幹部の要請に従い、受けた質問に回答するという大義
名分のもとに書かれたのではないでしょうか。東大出身で原田-谷川ラインに連なる教授
ですから、さもありなんといったところです。

最後に、いつものことですが、この掲示板にアップするのは勇気が要りますね。(笑)
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