投稿者:まなこ   投稿日:2015年 6月22日(月)12時53分24秒     通報
名誉会長: そして結論的に、こう言われた。
「それにもかかわらず、いま、まったく反対機能の場となってしまった理由は、一国こぞって正法に反対し、これを説く者を迫害し、こぞって誹謗正法の罪をつくっているところにある。すなわち、日蓮大聖人の立正安国のお教えに背いているためなのである」と。

遠藤: 立正安国論で大聖人は、経文に照らして警告されました。人間の根本である思想・宗教が乱れ、それを放任したまま正法に目覚めないならば、その乱れは必ず国土・社会に反映するであろうと。

名誉会長: 思想・宗教の乱れとは、「諸法の実相」を見られない智慧の乱れであり、ひいては生命の乱れです。依正不二が実相であるゆえに、その「正報」の乱れが、「依報」である社会・国土にも不調和を起こすのです。

須田: 三災七難ですね。

名誉会長: 大聖人の当時は、軽い難から重い難へと、順次、起こった。数々の天変地夭。権力抗争による内乱(自界叛逆難)。そして最後は、蒙古襲来という最大の難「他国侵逼難」です。
時移り、戸田先生は「いま広宣流布の時をむかえて、難の出方が大聖人御在世と逆次にでてきている」と指摘された。
つまり最初に、未曾有の大敗戦という「他国侵逼難」。そして、各界の分裂・抗争に見られる「自界叛逆難」にさしかかっていった。
妙法に背いた罪による病は、妙法に帰することによってしか治らない。だから全民衆の幸福のためには、妙法の広宣流布しかないのだと叫ばれたのです。

斉藤: 戸田先生は、経典と大聖人の仰せに照らし、民衆のゆく末を憂えて、戦後社会という諸法の実相を洞察されたのですね。

名誉会長: そう。身近なことでは、広宣流布の大進展が、まちがいないという一つの証拠(諸法)として、「交通の便」の発達をよく挙げられていた。多くの人が集まれること自体、すごいことなのだと。その通りであった。
ともあれ、諸法実相は、どこまでも「現実を変革」する哲理です。苦悩に満ち満ちた現実を絶対に離れない。逃げない。その現実のなかから、人々の仏界の生命を開発し、世界の安穏を実現していく智慧なのです。

遠藤: 「諸法実相」を実現するとは、個人においては「一生成仏」を、社会においては「立正安国」を実現することと言ってよいでしょうか。

名誉会長: その通りです。
「一生成仏」とは、この現実の今世において成仏することです。
成仏といっても、何か固定的な到達点のことではない。現実の真っただ中で苦闘する、その姿のままで、仏の境涯を開くのです。
苦悩する境涯から仏の境涯へ、そして仏の境涯から現実の変革へと、常に出発していく“信心の強さ”戦い続ける“信心の強さ”。そこにしか仏界はない。
観心本尊抄には「末代の凡夫出生して法華経を信ずるは人界に仏界を具足する故なり」(御書 p241)とあります。

須田: 日寛上人も「法華経を信ずる心強きを名づけて仏界と為す」と言われています(三重秘伝抄)。「信心」によって「諸法実相」が実現できるということですね。天台との大きな違いですね。

名誉会長: そうです。
天台の方法は「一心三観」と言って、諸法実相の深理を思索し、明らかに実感する修行です。瞑想が中心的な実践です。
しかし、この方法は難しく、だれもが正しく修得できるとは限らない。確かな地図とコンパスなくして密林に入れば、たいていの人は迷ってしまうでしょう。目的地まで行ける人は少ないに違いない。
これに対して、大聖人の仏法の修行は何か。
「一念三千の観念も一心三観の観法も妙法蓮華経の五字に納れり、妙法蓮華経の五字は又我等が一心に納りて候けり」(御書 p414)と仰せです。
また「一念三千の法門をふりすすぎたてたるは大曼荼羅なり」(御書 p1339)と。一念三千の「一念」は実相、「三千」は諸法です。御本尊は、諸法実相の御本尊であり、一切衆生の諸法実相を映す“鏡”です。
中央の「南無妙法蓮華経 日蓮」は実相を表し、左右の十界は諸法を代表しています。
この諸法実相の御本尊に向かって唱える妙法の音声は、我が身の仏性を呼びます。呼ばれた仏性は、外に顕れようとします。
すると、自覚するとしないとにかかわらず、胸中に「仏界の十如是」の太陽が昇る。本有の青空が、厳然と我が胸に広がるのです。
御本尊を信じ、「南無妙法蓮華経」と唱えることによって、自身(諸法)が妙法の当体(実相)と輝くのです。まさに万人に開かれた「一生成仏」の修行法です。
外にある御本尊も「妙法蓮華経」。内なる我が一心も「妙法蓮華経」。御本尊を“信ずる”ことが、同時に、我が身の諸法実相を悟る“智慧”になっている。「以信代慧(信を以て智慧に代える)」の法門です。