2015年1月14日 投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2015年 1月14日(水)10時24分44秒 実際、竜口での「発迹顕本」以降、本尊を顕していかれたのも、 自ら悟った境地を未来の人々に示し、万人を「幸福の道」に導こうとしたからです。 本尊問答抄には 「勝れた本尊とは、教主釈尊ではなく『教主釈尊・多宝如来・三世十方の諸仏』が 本尊とした法華経そのものである」(三六五頁)とあります。 釈尊を仏にした「仏」――。 つまり「根源の法」である妙法です。釈尊は自分が妙法の当体であることを菩提樹の下で覚知しました。 そして、あらゆる生命も同じく妙法の当体であり、それを覚知できる存在であると知った。 しかし、人々はその真理に目覚めていない。 さまざまな迷いに覆われて、愚行を繰り返し、苦悩に陥っている。 釈尊は、自分と同じ可能性を持つ人々の生命を慈しみ、苦悩に寄り添い、 万人に秘められた真理を自覚させていくために「全人格」をかけて法を語り戦っていきました。 釈尊は、根源の法である妙法が、自身の生命のうえに顕現し、自身と一体となる境地を味わいます。 それに目覚めてみれば、自分自身が「永遠の妙法」の当体であり、 「永遠に衆生救済に戦い続ける仏」であると悟ったのです。 この仏が、寿量品に説かれた「久遠実成の仏」です。 これを大聖人は「南無妙法蓮華経」と名付けました。 南無妙法蓮華経は「法」の名であるとともに、 その法と一体になった仏の生命、つまり大聖人の生命の名でもあるのです。 結論からいうと、釈尊や諸仏を本尊とするよりも、この「根源の法」を本尊とすべきなのです。 そして、その本尊を図顕していく転機となったのが、竜口の法難における「発迹顕本」です。 大聖人は、立宗宣言以来、竜口の法難に至るまでの十八年間、 瞬時も休むことなく、死身弘法の「法」を根本とする闘争を貫きました。 竜口の法難は、その頂点に位置するもので「法」と一体化した人間の偉大さを証明した出来事だったのです。 開目抄で大聖人は、本尊を図顕するに当り、自身がいかなる人間なのかを明らかにします。 ではなぜ、観心本尊抄を著す必要があったのかというと、二つの理由が考えられます。 一つは、佐渡に流されて帰れるかどうかも不明で、大聖人は命を狙われるという緊迫した状況下にありました。当時の弟子たちのためにも、法華経の信仰の規範を示す必要があった。 もう一つは、もしも佐渡の地で死んだ場合、令法久住・広宣流布のために、 大聖人が凡夫として成就した仏界涌現の道を正しく残す必要があった、この二つです。 大聖人は「開目抄」と「観心本尊抄」の二つの著作で、 本尊を図顕する資格を説明し、全人類を救済していく筋道を明確に示しました。 では、その観心本尊抄には何が説かれているのでしょうか。 それを皆さんと共に考えていきたいと思います。 Tweet