投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2015年 1月14日(水)10時23分46秒  

兄弟抄には
「此の法門を申すには必ず魔出来すべし。魔競はずは正法と知るべからず。
第五の巻に云く『行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競い起る。
乃至随う可らず、畏る可らず。之に随えば将に人をして悪道に向わしむ。
之を畏れば正法を修することを妨ぐ』等云云、此の釈は日蓮が身に当るのみならず門家の明鏡なり。
謹んで習い伝えて未来の資糧とせよ」(一〇八七頁)とあります。

師匠は、弟子に断言します。
三障四魔が競い起こらない信心は、「法華経の行者」とは言えないし、私の説く法門でもない。
本物であるかないかは、三障四魔と戦ったか否かにすべての答えがある。
それはすでに私が大難に遭い、すべてを打ち破る戦いをしたのがその証明だ。
日蓮こそが法華経の行者である。

私の弟子というならば、魔に負けてはいけない。臆病であってはいけない。
勇敢に魔を打ち破っていくのだ。
このような信心をしていくことが私の本当の弟子であり、
それを習い、手本として未来永遠に伝えていきなさい、との指導激励です。

ここに一念三千の法が「信受」という形で普遍化し、弟子たちに手渡されて伝授されていくのです。
だから大聖人が生涯を通し、命をかけて肉付けし、意義付けしてきた「法華経の行者」
という言葉が、大聖人の身読以降は、大聖人のみの固有の呼称ではなくなり、
師匠を信受する弟子たちも同時に「法華経の行者」と呼ばれるようになるのです。

報恩抄には
「日蓮が慈悲曠大ならば、南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながるべし。
日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり、無間地獄の道をふさぎぬ」(三二九頁)とあります。

大聖人の仏眼は、常に未来を見つめていたにちがいありません。
自ら悟った仏の「境涯」自らが体現した「法」がいかにして未来永遠に流布していくのか、
どうすれば末法万年の民衆を救い切っていけるのか――その一点に向けられていたと思います。

自身の「境涯(仏界)」、自身の「体現した法」が正確に未来に向かって伝持され、
広宣流布を成就していくためには、明確な目に見える「形」で残す必要がある。
人の心は肉眼では見えないが、行動や言葉によってその心は表現できる。
このように大聖人は考えていたのではないでしょうか。

ここにおいて、人の面から一念三千を追求してきた「開目抄」に引き続き、
「法」の面から一念三千を追求する必要があり「観心本尊抄」を書かなければならなかった。

そういう意味で「開目抄」と「観心本尊抄」は、その文体に大きな違いはありますが、
はじめから一体のものとして考えていたと思うのです。

そして「人本尊開顕の書」である開目抄につづいて「法本尊開顕の書」である観心本尊抄を著されました。