投稿者:まなこ   投稿日:2015年 6月17日(水)12時49分2秒     通報
遠藤: 方便品では、仏と仏とが成就した法を「諸法実相」と表現しています。天台はこれを一念三千の法理として展開し、日蓮大聖人は南無妙法蓮華経と説かれました。

名誉会長: そう。したがって、方便品の冒頭での仏智の賛嘆は、文底から言えば、南無妙法蓮華経の賛嘆にほかならない。そこに、私たちがこの部分を読誦する最大の理由があります。
それでは、「妙法」という真実の「仏の智慧」を説き出した章が、なぜ「方便品」になっているのだろうか。

遠藤: なぜ「仏智品」でもなければ「真実品」でもないのか —- 確かに、ここに方便品の核心があると思います。

須田: それを考えるうえでも、もう少し、方便品の説法の流れを追いたいと思います。
仏の智慧を賛嘆してやまない釈尊に対し、一座の疑問を代表して、舎利弗が「ぜひ仏の真実の法を説いてください」と嘆願します。三回お願いして、やっと三回目に釈尊は応じ、説き始めようとする。

遠藤: その大事な時に、五千人の増上慢の僧尼や信者が座を立っていってしまいます。釈尊は、去る者は追わずで、構わずに黙って去らせます。

名誉会長: この「五千の上慢については、いろいろ論ずべきことがあるが、増上慢の人間は、一番大事な時にいなくなるものです。
釈尊は、巌然と舎利弗に宣言する。
「是の如き増上慢の人は、退くも亦佳し。汝今善く聴け、当に汝が為に説くべし」(法華経 p165)
そして諸仏がこの世に出現した目的 —- 「一大事因縁」とは、衆生をして仏知見(仏の智慧、仏界)を開かしめ、衆生に仏知見を示し、仏知見を悟らせ、仏知見の道に入らせることであったと教えるのです。

須田: このように説かれます。「諸仏・世尊は、ただひとつの偉大な仕事を目的として(唯一大事因縁を以っての故に)のためにのみ、出現される」(法華経 p166)と。
そして、その「仏の出現の唯一の目的」である「偉大な仕事」の内容が、「開・示・悟・入]の「四仏知見」として明かされます。

名誉会長: 衆生の仏知見(仏界)を開かせるということは、衆生に仏智見がそなわっているということです。仏知見があるのは、衆生が本来、仏だからです。つまりこれは「衆生こそ尊極の存在なり」という一大宣言なのです。

遠藤: いわゆる「三乗方便・一乗真実」ということですね。
「三乗」とは、二乗(声聞乗・縁覚乗)と菩薩乗です。乗とは、“迷い”から“悟り”へ運ぶ乗り物のことで、仏の教えのことです。声聞のための教え、縁覚のための教え、菩薩のための教えという意味です。
しかし、三つの別々の教えがあるのではない。仏の教えには、ただ「一乗」があるだけだというのです。「一乗」とは“唯一の教え”という意味です。それは“仏に成るための教え”であるから「一仏乗」とも言います。

名誉会長: 衆生の側から見ると、三乗という別々の教えを説かれているように見えるが、仏の側から言えば、ただ一仏乗があるのみだということです。
「一仏乗」とは、全人類を仏にする、全人類を「開示悟入」させる教えです。

須田: 三乗は、一仏乗に導き入れるための「方便」の教えであり、仏の「真意」は一仏乗にあるということですね。
方便品では、この三乗を開いて一仏乗を顕すという「開三顕一」について、過去の諸仏、未来の諸仏、現在の十方諸仏、そして釈尊自身に当てはめていきます。それぞれの中には、種々の大切な法門が説かれていますが、ここでは省略します。要は、釈尊も含めて一切の仏が教えを説く真意は、一仏乗にあるというのです。
なお、開三顕一の説法は方便品で終わるわけではありません。人記品(第九章)まで続きます。法華経前半(迹門)の大テーマと言えます。