投稿者:まなこ   投稿日:2015年 6月17日(水)06時41分41秒     通報
§方便品§(1)
■ 方便 —- 巧みなる「人間教育」の芸術

名誉会長: 今は乱世です。思想も社会も乱れている。
そうしたなか、心ある人々は、日本と世界の行く末を真剣に考え始めた。このままでは、柱のない家のように、人間も社会も崩れていくのではないか —- そういう危機感を強く抱いているようです。
そして、人間が人間として、どう生きるのが正しい軌道なのか、その「道」を模索している。宗教についても、遠い無関係の世界のものとしてではなく、どう見ればよいのか、どう考えればよいのか、どう関わるべきなのか、切実な関心が寄せられ始めたようだ。
その意味でも、この座談会で、法華経を通して「二十一世紀の宗教」を考えていくことは重大な意義があると思う。
きょうも、語りに語っていこう。

斉藤: はい よろしくお願いします。
ここから、いよいよ、方便品(第二章)です。私たちは、朝夕の勤行で読誦していますので、親しみがあります。
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方便品から
「諸仏世尊は、唯一大事の因縁を以っての故に、世に出現したもう —- 諸仏世尊は、衆生をして仏知見を開かしめ、清浄なるを得せしめんと欲するが故に世に出現したもう。衆生に仏知見を示さんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生をして、仏知見を悟らしめんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生をして、仏知見の道に入らしめんと欲するが故に、世に出現したもう」     (法華経 p166)

諸仏世尊は、ただ一つの重大な目的のために、この世に出現されるのである。 —- 諸仏世尊は、衆生に仏知見を開かせ、清浄な境涯を得させたいと思うがゆえに、この世に出現されるのである。衆生に仏知見を示したいと思うがゆえに、この世に出現されるのである。衆生に仏知見を悟らせたいと思うがゆえに、この世に出現されるのである。衆生に仏知見の道に入らせたいと思うがゆえに、この世に出現されるのである。
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また、池田先生による「方便品・寿量品講義」も聖教新聞紙上で連載されています。
方便品は、法華経二十八品の中でも、譬喩品(第三章)、化城喩品(第七章)についで長い章です。私たちが読誦している、冒頭から諸法実相・十如是までの部分は、方便品全体の二十分の一ほどにすぎません。
しかし、日寛上人は、そこまでに方便品の最重要の法門が説かれていて十分であると延べられています。

名誉会長: そうだね。法門的に見れば、方便品は、本門の寿量品(第十六章)とともに、法華経の最重要の章です。南無妙蓮華経の意義を知るうえで方便品の理解は欠かせない。その意味でも、初めに方便品全体の展開を見ておいたらどうだろうか。
■ 方便品の展開( p143)

須田: はい。釈尊は序品で無量義処三昧という瞑想に入っていました。方便品では、釈尊がこの三昧から立ち上がり、突然、舎利弗に対して「諸仏の智慧は甚深無量なり。其の智慧の門は難解難入なり」(法華経 p153)と、“仏の智慧の素晴らしさ”を語り始めます。

名誉会長: 法華経における釈尊の第一声だね。この第一声に意味がある。法華経が仏の智慧をそのまま説こうとした随自意の教えであることが劇的に表現されています。
甚深無量の仏智は、仏にしか分からない。だから釈尊が、だれに問われるのでもなく、自ら諸仏の智慧を賛嘆し始めたのです。方便品冒頭の説法が*「無問自説」の形式を採っているのも、問うことさえできないほど、仏の智慧は深く、無量だからです。
* 無問自説「問い無くして自ら説く」と読む。質問がないのに、仏が自らの
意志で法を説くこと。

遠藤: 確かに、仏が成就した法は「未曾有の法」であり「第一希有難解の法」であるから、仏以外には分からないと説いています。

名誉会長: 「ただ仏と仏のみが諸法の実相を究め尽くしている(唯仏与仏。乃能究尽。諸法実相)」(法華経 p154)とあるね。
智慧第一とたたえられた舎利弗に向かって「お前たちには到底わからない」と、いきなり決めつけ(笑い)、突き放したわけですから、皆、驚いたことでしょう。

須田: 対告衆になった舎利弗は、ショックで心臓が止まりそうになったかもしれませんね(笑い)。

斉藤: 舎利弗は、いわば二乗のチャンピオンであり、自他ともに一番優秀だと認めていた。その舎利弗の智慧も遠く及ばないと宣言することで、仏の智慧の素晴らしさが強調されているわけです。

遠藤: 作劇法としても、見事ですね(笑い)。ドラマチックな効果をあげています。

名誉会長: その通りだ。そこで問題は、その智慧の中身は何かということになる。