投稿者:まなこ   投稿日:2015年 6月15日(月)06時25分40秒     通報
斉藤: 大聖人が御義口伝で列衆を論じられているのも、この最初の阿若?陳如と、最後の阿闍世王についてです。

名誉会長: 御義口伝では、列衆の意義を生命論から解明されている。
阿若?陳如については、「我等法華経の行者の煩悩即菩提生死即涅槃を顕したり」(御書p710)と。
また父を殺し、母をも殺そうとし、釈尊に背いたのが、阿闍世王です。その反逆の生命については、法華不信の心や貪愛・無明を殺して成仏を遂げていく「逆即是順(逆即ち是れ順なり)」の原理を顕すとされている。

遠藤: その他の大衆も同様に、生命論から考えていくことができます。

須田: ところで、迦葉や舎利弗などの大声聞が列衆の冒頭に挙げられているのは、彼等が歴史的にも釈尊の教団を支えてきた有力な弟子であったことから当然といえますが、その直後に、摩訶波闍波提比丘尼や耶輸陀羅比丘尼を代表とする女性の声聞が挙げられていることが注目されます。また、阿闍世王の名を挙げる時も、母親の韋提希夫人の名を挙げています。

名誉会長: 「女人成仏」の象徴として、提婆達多品(第十二章)の「竜女の成仏」は有名だが、法華経で女性の成仏が説かれるのは、ここだけではありません。
勧持品(第十三章)では、比丘尼たちに、将来、仏になるという記別が、すでに決まっていることを確認する形で授けられている。そのときの代表が、摩訶波闍波提比丘尼や耶輸陀羅比丘尼です。
その女性の代表が、男性と並んで序品に紹介されている。法華経の特徴とされる「女人成仏」は、序品から既に予定されていたとみてよいでしよう。
常不軽菩薩は「あなたがたは皆、菩薩道を行じて必ずや仏になることができる」と、男性にも女性にも、同じように呼び掛けている。法華経全体からみれば、仏になることにおいて男女に差別がないことは、当然のこととみなされていたのだね。

斉藤: 重要なポイントだと思います。
次に登場するのは、八万人にも上る菩薩たちです。これらの菩薩については人々を救おうとする慈悲の行動が称えられています。

名誉会長: 初めに声聞、次に菩薩が挙げられている。法華経全体の対告衆を見ても、初めは舎利弗らの声聞だが、法師品(第十章)以降は、薬王らの菩薩に交代する。
後に詳しく語ることにしたいが、声聞から菩薩へという担い手の転換が、法華経を理解する一つのカギになっている。

遠藤: 序品で登場する菩薩たちの名前も興味深いですね。文殊菩薩、観世音菩薩、弥勒菩薩、薬王菩薩などはよく知られていますが、常精進菩薩、不休息菩薩、宝掌菩薩、大力菩薩、宝月菩薩など、あまり聞いたことのない菩薩の名もあります。

名誉会長: それらも、すべて菩薩の生命のさまざまな側面を示したものと考えられる。
常精進菩薩、不休息菩薩は文字通り、常に仏法のために休みなく戦い続ける生命を象徴している。「不休息」は、サンスクリットでは“重荷を捨てない”という意味であるという。<「アニクシプタドゥラ」という>