投稿者:まなこ   投稿日:2015年 6月14日(日)19時09分29秒     通報
§序品§(2)
二処三会 —- “永遠”と“今”との交流
■ 列座大衆 —- 登場人物たち

斉藤: 冒頭の「如是我聞」の後、序品は「一時、仏、王舎城耆闍崛山の中に住したまい」(法華経 p119)と続きます。ここでは、法華経が説かれる「場所」が示されています。すなわちマガダ国の首都・王舎城の郊外にある耆闍崛山 —- 霊鷲山です。更に続いて、その説法の場(会座)に、どのような衆生が参列していたか(列座大衆、列衆)が挙げられていきます。

名誉会長: 法華経のドラマが始まるにあたって、「舞台」と「登場人物」が紹介されているわけだね。
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序品から
「一時、仏、王舎城耆闍崛山の中に住したまい、大比丘衆、万二千人と倶なりき。 —- 其の名を阿若?陳如、摩訶迦葉 —- 阿難、羅ゴ(目ヘンに侯)羅と曰う。是の如き、衆に知識せられたる大阿羅漢等なり。復、学無学の二千人あり。摩訶波闍波提比丘尼、眷属六千人と倶なり。羅ゴ(目ヘンに侯)羅の母、耶輸陀羅比丘尼、亦眷属と倶なり。菩薩摩訶薩八万人あり。 —- 韋提希の子阿闍世王、若干百干の眷属と倶なりき。各、仏足を礼し、退いて一面に坐しぬ」  (法華経 p119)

あるとき、仏は王舎城(郊外)の耆闍崛山(霊鷲山)におられた。大勢の比丘たち一万二千人と一緒であった。 —- その名を阿若?陳如、摩訶迦葉 —- 阿難、羅ゴ(目ヘンに侯)羅といい、人々によく知られている大阿羅漢たちであった。また、これから学ぶべき者(学)と既に学びおえた者(無学)が二千人いた。また摩訶波闍波提比丘尼は六千人の従者とともにいた。羅ゴ(目ヘンに侯)羅の母である耶輸陀羅比丘尼も従者とともにいた。更に菩薩・摩訶薩が八万人いた。 —- また韋提希の子の阿闍世王は、数十万の従者と一緒であった。これらの者は、各々、仏の足もとに礼拝し、退いて一面に座った。
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須田: 霊鷲山には、私も第一回のSGIインド青年文化訪問団(一九九〇年)の一員として訪れたことがあります。幽玄な霊地かと期待して行ったのですが、場所そのものは何の変哲もない岩山でした(笑い)。

名誉会長: それほど高くもないようだね。霊鷲山と呼ばれるのは、一説に、山頂の形が鷲に似ているからだと言われているが、その頂上付近が、釈尊の説法の場所だったと伝えられている。

遠藤: 「登場人物」ですが、経文の順に示すと次のようになります。
(1)阿若?陳如や迦葉・舎利弗など、声聞の最高位である阿羅漢の境地を得た一万二千人の比丘たち。代表して二十一人の名が挙げられています。
そのほかに学(阿羅漢果を得るために戒定慧の三学を学んでいる者)や無学(阿羅漢果を得て学ぶべきものが無い者)の二千人の声聞もいます。
(2)釈尊の叔母・摩訶波闍波提比丘尼、釈尊の出家前の妻・耶輸陀羅比丘尼とその眷属数千人。
(3)文殊菩薩、観世音菩薩など八万人の菩薩たち。代表して十八人の名が挙げられています。
以上の声聞衆、菩薩衆のほかに、次のような娑婆世界のさまざまな衆生が集っています。
(4)帝釈天、四大天王、梵天など天界の王や天子たち。その眷属は七~八万、数え方によっては十数万になります。
(5)八人の竜王とその眷属。
(6)四人の緊那羅王とその眷属。
(7)四人の乾闥婆王とその眷属。
(8)四人の阿修羅王とその眷属。
(9)四人の迦楼羅王とその眷属。
(10)阿闍世王とその眷属。
以上、ざっと数えて、少なくとも、数十万、解釈の仕方によっては数百万の衆生が法華経の聴衆です。

名誉会長: 実に多彩かつ膨大な大衆だね。天界の神々や竜王、緊那羅王など、人間ではないものも挙げられている。もちろん、これほど多くの大衆が、同時に霊鷲山に集まれるはずはない。

須田: 実際に訪れた感じを言いますと、釈尊が説法したとされる場所は、百人座れるかどうかという程度の広さです。しかも岩山ですから日陰もなく、真夏など到底、長時間座っていられるような場所ではありません。私たちが行ったときも、余りの暑さに、案内してくださったインドの人が倒れてしまうほどでした。

名誉会長: 戸田先生が言われたように(本文 p85参照)、法華経が表現しているのは、仏の己心の世界、悟りの世界です。何万人の大衆が登場しても差し支えない。

斉藤: その意味で、列座大衆のそれぞれは、全て生命の働きの象徴と考えられます。十界でいえば、菩薩界、声聞界、天界、人界、修羅界、畜生界の衆生がいる。そこに挙げた大衆をもって九界全体を代表させているようです。つまり、序品の大衆は、仏の己心に包まれた九界の衆生の姿といえるのではないでしょうか。

遠藤: そうとらえると、挙げられている大衆のそれぞれに意義があるはずですね。代表的なものの意味を考えてみましょう。

須田: まず最初に挙げられている阿若?陳如。彼は、釈尊が成道した後、初めて教化した五人の比丘の一人です。

名誉会長: いわば釈尊の最初の弟子だね。最後に挙げられている阿闍世王は、提婆達多と共謀して、釈尊に敵対した人物です。釈尊の晩年になって自らの罪を悔い、釈尊に帰依したと伝えられている。最初の弟子と最晩年の弟子がいるということは、釈尊の一生の間の門下をすべて含めている象徴と見ていいかもしれない。