2015年6月14日 投稿者:多様性万歳 投稿日:2015年 6月14日(日)20時24分51秒 通報 編集済 私自身、一国民として『安全保障関連法案』に明記された武力行使に歯止めをかける条件である、いわゆる「新3要件」について考えてみました。 間違っているかもしれませんが、みなさんが自分の頭で考えるきっかけになればと思います。 まず、ご存知のように「新3要件」とは次の通りです。 ① 我が国に対する武力攻撃が発生したこと、又は我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること ② これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと ③ 必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと 上記傍線部「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し」の部分だけを見れば、それに対する武力行使は「集団的自衛権」を想起しますが、実際には、それに対して、次の2つの要件が加えられています。 ① これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること ② これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと 個人的には、これらの要件によって「個別的自衛権」の範囲内と考えるほうが妥当と考えますが、みなさんはどう考えますか? 我が国と密接な関係にある「他国に対する武力攻撃」が発生した場合に、上記の2つの要件を満たす状況とは、どんな状況でしょうか。一体どこの国が、「我が国の存立」を脅かすために、世界一の軍事力を誇るアメリカを攻撃してくるのでしょうか?もしくはアメリカを攻撃することで、結果的に「我が国の存立」を脅かす事態に発展する可能性があるのでしょうか? 私自身は、ほとんどこのような状況は起こりえないと考えますが、例えば、万が一、日本を防衛するため日本に停泊しているアメリカ艦隊が攻撃され、そのことで結果的に「我が国の存立を脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険」が生じれば、その攻撃を武力によって排除しなければならない状況が出てくるのかも知れません。しかし、この場合の武力行使は、あくまでも結果的に「我が国の存立」を脅かす攻撃から自国を守るための「自国防衛」になるので、「個別的自衛権」の範疇なのではないでしょうか。 前回の投稿の中で、法律の運用について、法律とは必要最低限の社会生活や国際関係の秩序を維持するためのルールであるため、それ自体完璧ではなく、そのために運用(解釈)次第では善にも悪にもなると述べました。 みなさんもご存知のように、私たちが支援する公明党は、大変に「人がいい」。 よって公明党の法律運用の考え方は、「善意の解釈」(性善説)に立っていると思うのです。つまり、曖昧な部分(政府の裁量に任される部分)は、どこまでも国民第一の観点から解釈される。 しかし、これまで様々な法律の成立過程や法律運用の歴史などを学んできた法学者の方たちは、世の中、全てが「性善説」に基づいて法律が作られたり、運用されたりするとは限らない事例をいくつも知っているがゆえに、この法案が「悪用」される余地(曖昧な部分)を残していることに対して、「憲法違反」の可能性があると警鐘を鳴らしているのではないでしょうか。 私も、今国会において法案審議が始まり、安倍首相を含め、自民党閣僚たちの答弁を聞くまでは、まさか「新3要件」と「事前の国会承認」によって縛られたこの法案から「集団的自衛権」が可能という解釈が生まれるとは、想像もしていませんでした。しかし自民党閣僚の国会答弁を聞いていると、やれ場所は地球の裏側までだの、同盟国はアメリカだけではなくオーストラリアを含み、さらに今後、同盟国が増えるだの、「集団的自衛権」自体を認めるだけでなく、その範囲も際限なく広げて解釈しようとしていることに正直、驚きました。 なるほど、「性善説」のみで解釈されるほど、世の中は甘くはなかった(笑)。 現在の自民党の方針は、ご存知のように安倍首相の悲願である「戦後レジームからの脱却」を実現するために、民主主義の対極にある「国家主義」に染まりきっています。 公明党が武力行使に関して、「新3要件」や「事前の国会承認」で歯止めをかけたと思いきや、自民党の「国家主義」への情熱は、それで歯止めが効くほど、やわなものではなかった。 そして残念ながら、自民党にとっては、まだいくらでも法案の文言について、拡大解釈できる余地が残されています。 例えば、 「我が国と密接な関係にある他国」(なぜアメリカだけと明記しない?) 「明白な危険」(何をもって明白な危険なのか?) 「他に適当な手段がない」(武力行使に代わる適当な手段とは何か?) 「必要最小限の実力行使」(どの程度が必要最小限なのか?) 公明党は、裁量の余地を自民党に残しすぎたのではないですか? 公明党は「個別的自衛権」のみと言っていますが、自民党は「集団的自衛権」が容認されると言っています。 なぜ、この根本的な解釈さえ、法案作成時に合意されていなかったのでしょうか? 自民党は公明党のように「性善説」に立つ政党ではありません。(少なくても安倍政権は) よって「歯止め」というからには、まずは自民党に対し、この法案は「個別的自衛権」のみを容認するものだという合意をしっかりと取り、そして「曖昧な文言」を明確な文言にして、政府(自民党)裁量の余地を最小限にすべきだと考えます。 それが出来ないのなら、残念ながら現在の法案の内容では、自民党に「悪用」されるのが目に見えていますので、法案を潔く撤回すべきではないでしょうか。 結論として、私は、公明党の主張(この法案は「個別的自衛権」のみを容認するものであって、「新3要件」と「事前の国会承認」を設けることによって、それに歯止めをかけているので、従来の見解(昭和47年「自衛権に関する政府見解」)を逸脱するものではない)は間違っていないと思います。ただ、法案の中に曖昧な文言を残してしまったために、政府(自民党)裁量の余地を大きくしてしまった。しかもその自民党は、国民第一ではなく国家第一、つまり「国家主義」の観点から、曖昧な文言については、とんでもない解釈を平気で行う政党だった。この点が公明党の誤算だったのではないでしょうか。 このまま自民党の「国家主義的な体質」を甘く見て、この法案を強行採決でもしようものなら、取り返しのつかないことになると懸念しています。 みなさんはどう考えますか? 以上 Tweet