投稿者:まなこ   投稿日:2015年 6月13日(土)19時28分31秒     通報
■ 普遍的法華経 —- 法華経の成立問題(

名誉会長: 日月燈明仏が説いた究極の教えも法華経、釈迦仏がこれから説く教えも法華経 —- この点が重要です。しかも、序品では文殊が過去世に出会った日月燈明仏だけでなく、それ以前に二万の日月燈明仏がいたとされている。ここには、すべての仏が説く究極の大法が法華経であることが暗示されています。それだけではない。化城喩品(第七章)では大通智勝仏が、常不軽菩薩品(第二十章)では威音王仏が法華経を説いている。
日月燈明仏の弟子の妙光菩薩も、大通智勝仏の弟子の十六人の菩薩も、それぞれ仏の入滅後に法華経を説いている。威音王仏の滅後には、不軽菩薩が、いわゆる“二十四文字の法華経”を唱えている。法華経は、常に「滅後のため」の教えなのです。
しかも、これら過去仏が説く法華経は、膨大な量であることが示されている。「日月燈明仏の法華経」は六十小劫という実に長い時間をかけて説かれた。「威音王仏の法華経」は二十千万億の偈から成る。「大通智勝仏の法華経」に至っては、八千劫以上もかけて説かれ、ガンジス河の砂の数ほどの偈から成るとされている。
法華経とは、私たちが今日、見ることができる八巻二十八品の「釈尊の法華経」だけをいうのではないということです。説かれた形態は違っていても、すべて法華経なのです。

斉藤: いわば“普遍的な法華経”が想定されていますね。

名誉会長: そう。法華経の本質を体得された戸田先生は、注目すべき法華経観を提示している。
「同じ法華経にも、仏と、時と、衆生の機根とによって、その表現が違うのである。その極理は一つであっても、その時代の衆生の仏縁の浅深厚薄によって、種々の差別があるのである。世間一般の人々で、少し仏教を研究した人々は、法華経を説いた人は釈迦以外にないと考えている。しかし、法華経には、常不軽菩薩も、大通智勝仏も、法華経を説いたとあり、天台もまた法華経を説いている」と。
極理は一つだが、表現形態には種々の違いがある。しかし、すべて法華経なのです。
一切衆生の真の幸福と安楽のために、仏自らが悟った法、成仏の法を、すべての民衆に向かって開き示した教え —- それが“普遍的な法華経”です。
大聖人は、法華経に「広・略・要」を立てられています。「要」の法華経とは、御自身の南無妙法蓮華経です。現時において修行すべき法華経とは、この「要」の法華経です。
広・略については、何が「広」で、何が「略」かは明確には示されていませんが、過去仏の膨大な量の法華経が「広」の法華経だとすれば、二十八品の法華経が「略」の法華経。二十八品が「広」だとすれば、不軽菩薩が唱えた二十四文字の法華経などが「略」になる。
また戸田先生は、(1)法華経二十八品(2)天台の摩訶止観(3)大聖人の南無妙法蓮華経を「三種の法華経」と呼んでおられます。

斉藤: 話が少しそれるかもしれませんが、さまざまな法華経があり得るという法華経観は、二十八品の法華経が、果たして釈尊の「直説」をそのまま伝えるものなのか、後世の編纂者たちの「創作」なのかという問題にも光を与えてくれます。
つまり、核心となる思想は釈尊の直説だが、今の表現形態は、編纂当時の時代状況を反映しているとは考えられないでしょうか。

名誉会長: 核心となる釈尊直説の思想が、編纂当時の時代状況、思想状況に応じて、ひとつの形をとったと考えられます。
時代が釈尊の思想を希求し、釈尊の思想が、時代を感じて出現してきた。*「感応道交」です。普遍的な思想とは、そういうものです。真実の思想の生命力と言ってもいい。形態は新たになったとしても、時代状況の中では、それが、より、その思想の「真実」を現しているのです。その意味で、私は、直説か創作かと問われれば、直説だと言いたい。
もちろん、時代状況も反映しているし、その時代の歴史的な研究によって明らかになる面も多いと思う。真撃な学問的成果なら、大いに受け入れるべきでしょう。それでも、法華経の思想的価値は決して揺るがないし、いよいよ輝いていくと私は確信します。

* 感応道交とは、衆生がよく仏の応現を感じ、仏が衆生の機根に応じて、互いに通じ合うこと。

須田: 学問的には、法華経が釈尊の入滅後、数百年を経た紀元一世紀ごろに成立したことは、現在、多くの学者に支持されています。
当時、仏教の正統を自認していた小乗部派仏教教団が閉鎖的・権威的になり、民衆から遊離した。そのなかで、釈尊を象徴する仏塔を礼拝・供養する信仰活動が、在家の人々を中心に興ります。権威化した僧ではなく、仏に直結しようとする信仰です。一説には、それが大乗仏教運動となって、般若経、法華経、華厳経などの大乗経典が編纂されたとされています(平川彰『大乗仏教の教理と教団』、春秋社)。
その際、小乗教団の側から「大乗経典は勝手な創作で、非仏説である」という非難がなされました。いわゆる“大乗非仏説”論は、すでに大乗仏教の誕生当時からあったわけです。

遠藤: “伝統ある”小乗仏教にとっては、大乗仏教は、いかがわしい”新興宗教”としてしか映らなかったのかもしれません。
しかし、釈尊の入滅から数百年経過していたとしても、大乗経典が、釈尊とは全く無関係の勝手な創作であるとは言い切れない。文字としてまとめられたのは後年であっても、その問に、釈尊の言説が口承として伝えられていたことは十分に考えられます。これは、法華経だけでなく、同じころに成立した他の大乗経典についても言えることです。
小乗の経典にしたところで、釈尊の入滅後に、弟子たちによってまとめられたものです。

名誉会長: インドには、大切な教えは文字に書きとどめるのではなく、暗誦し、心にとどめていく習慣があったようだ。*竜樹の『大智度論』にも「仏口の所説を弟子誦習し、書して経巻を作る」とある。この「経巻」とは大乗経典を指している。
それにしても、法華経編纂者の編集能力は素晴らしい。文字や暗誦で伝えられてきた仏説の中から、釈尊の思想の核心を選び取り、見事に蘇らせている。編纂者の中に、釈尊の悟りに肉薄し、つかみ取った俊逸がいて、見事にリーダーシップを発揮したとしか思えません。
* 竜樹(生没年不明)は、一五〇年~二五〇年ごろ、インドに出現した大乗の論師。

須田: 現在では、研究が進むにつれて、早くから成立した小乗経典の中にも、大乗経典に説かれる思想の萌芽が含まれており、大乗経典は釈尊の思想を正しく発展させたものであることが主張されるようになっています。その意味で、小乗経典だけが仏説で、大乗経典は非仏説であるというのは妥当ではなく、小乗経典も大乗経典もともに釈尊を源流としていることが明確になっています。

斉藤: いずれにしても、釈尊を希求し、釈尊に肉薄する信仰と智慧は、大乗経典の中で、法華経が随一です。法華経は、ある意味で、“紀元一世紀の釈尊論”だとも言えるのではないでしょうか。