投稿者:まなこ   投稿日:2015年 6月11日(木)21時34分11秒     通報
■ 民衆に呼びかける経典

斉藤: これまでに、読者の皆さんから、たくさんの反響をいただきました。
各地の座談会の研究発表などでも、さっそく活用してくださっているそうで、より多くの方々に喜んでいただくためにも、更に更に真剣に学んでいこうと決意しています。

名誉会長: しっかり頑張ってほしい。自分自身の勉強になるから。後世に恥じないものを残そう。
「日蓮大聖人の仏法」について、世界ではまだまだ知らない人が多い。また、非常に誤解されている場合もある。

須田: 日本では、軍国主義思想に利用され、国家主義的とか、国粋主義的とか言われてきました。真実とは正反対に。

名誉会長: そう。そこで、どうすれば大聖人の仏法を、正しく世界に理解させていくことができるか。そのためにも、「法華経」を語る意味はあるのです。
法華経の真髄を説かれたのが大聖人です。法華経を学ぶことは、大聖人の仏法を学ぶことに通ずる。大聖人の仏法を学べば、法華経も分かっていく。表裏一体です。
ゆえに法華経を語ることは、ただ釈迦仏法のみを探究することではない。大聖人の仏法の、はるかな未来を見つめての、壮大な挑戦なのです。
仏法は深い。“言は意を尽くさず”と言うけれども、それでも語っていかねばならない。人々が大聖人の仏法を理解する機縁となり、広宣流布へ、人類の希望へとつながっていく論調にしたいのです。ある意味で一生の仕事だ。

斉藤: はい。教学部の“魂”として取り組んでまいります。

遠藤: 読者からの声をうかがって、すごいなと思ったのは、婦人部、女子部の皆さんの求道心です。学ぶ心、研鑚の意欲。本当に素晴らしいと思いました。

名誉会長: その通りだ。壮年部も男子部も、とてもかなわない(笑い)。純粋です。また粘り強い。特に女性は、観念でなく実感でつかもうとされている。
真剣に仏法を学び、語っていく功徳は、どれほど大きいか。その人は生々世々、舎利弗のような大学者の境涯になっていくにちがいない。

須田: 女性の仏法者の活躍に、こんな話があります。
仏教が出現してから百年か二百年たったころ、シリア王の大使であったギリシャ人が、インドを訪れた。そして驚嘆したというのです。
「インドには驚くべきことがある。そこには女性の哲学者たちがいて、男性の哲学者たちに伍して、難解なことを堂々と論議している!」
これを紹介している中村元博士は、さらに次のように指摘しています。「尼僧の教団の出現ということは、世界の思想史においても驚くべき事実である。当時のヨーロッパ、北アフリカ、西アジア、東アジアを通じて、<尼僧の教団>なるものは存在しなかった。仏教が初めてつくったのである」と(中村元訳『尼僧の告白』あとがき、岩波文庫)。

名誉会長: 哲学をもち、堂々と論議する女性たち —- 学会では、すでに常識だが(笑い)、当時の世界では、珍しかったのでしょう。

斉藤: 古代インドでは、女性の地位は奴隷と変わらないほど低かったそうです。そうしたなかで、釈尊が女性を入団させた事実は、革命的な行為であったとされています。

遠藤: 今年(一九九五年)は、北京で「世界女性会議」が開かれます。“女性にも、それぞれの分野の主体者として活躍する機会を”との声が、宗教の分野からも起こっています。
例えばキリスト教では、昨年(一九九四年)初めて、英国で国教会の女性司祭が誕生しました。カトリックでも、修道女の地位向上への要求を受けて、論議が高まっています。

名誉会長: すべての民衆を救うために説かれた仏法です。女性と男性に差別はない。出家と在家の違い、人種・学歴あるいは権力、経済力など、どんな社会的立場も関係ない。当然のことです。
仏法は、だれのために説かれたか —- むしろ差別され、虐げられ、“最も苦しんだ”人々をこそ、“最も幸福に”輝かせていく。それが仏法の力であり、法華経の智慧ではないだろうか。