投稿者:まなこ   投稿日:2015年 6月 9日(火)16時20分9秒     通報
■ 生命がキーワードの時代へ

斉藤: 一九九五年の阪神・淡路の大震災を通して、「生命の重さ」を、改めて痛感しました。特に、政府の対応の遅さ、無慈悲さには、怒りの声が、世界中から起こっています。なぜ人命を最優先にしなかったのか —- と。

遠藤: 本当に、その通りだと思います。
生き埋めになった人を救出する場合、わずか一、二時間の対応の遅れが、被災者の生存を左右します。それが分かっているから、各国の救援隊は緊急出動の体制をとってくれた。それを政府は、ほとんど無駄にしてしまったのです。
だれが、いつ、どう判断し、それを断ったり、保留にしたりしたのか。一切の克明な事実を公表すべきでしょう。国民、なかんずく被災者には、それを知る権利があります。

須田: 池田先生と会われたハワイ大学のマーセラ博士(臨床心理学研究所長)も、こうした救援メンバーの一人だとうかがいました。心理学の専門家が、災害時に緊急出動する。そんなところにも人間への視点を感じます。
大震災の時、博士も即座に体制を整え、いつても向かえる状態で待っておられた。しかし結局、日本政府からの要請がなく、出動できなかったそうです。

名誉会長: マーセラ博士から、そのお話は、うかがいました。
被災者のことを思うと、本当に胸が痛みます。毎日のように「死者五千何人」と報道されていますが、人間を「数」で計ることはできません。五千人亡くなったから、悲劇なのではない。亡くなったどの方も、かけがえのない父であり、母であり、わが子であり、家族であり、友であったのてす。<その後の掌握により、犠牲者は六千人を超えた>
戸田先生も二十三歳の時に、幼いお子さんを亡くされた。三歳の女の子でした。
「冷たい死骸を一晩抱いて寝て泣きました —- そのときぐらい世の中に悲しいことはなかった」。三十年以上たった、ある質問会の折にも、話しながら、涙ぐんでおられた。
「そこで、もし自分の妻が死んだら —- と私は泣きました。その妻も死にました。もし母親が死んだらと思いました。それは私としても、母親が恋しいです。今度はもう一歩つっこんで、ぼく自身が死んだらどうしようと考えたら、私はからだがふるえてしまいました」
「それが牢に入って、少しばかりの経典を読ませてもらって『ああ、よくわかりました』と解決したのですが、死の問題は二十何年間かかりました。子供を亡くして泣きすごすと、妻の死も自分自身の死もこわかった。これがようやく解決できたればこそ、戸田は創価学会の会長になったのであります」と。
ともあれ、災害時の対応には、その国の「文化」が表れる。「生命を大切にする社会」か否かを、はっきりと映し出してしまいます。

斉藤: 「生命」を最高の価値とする時代をつくらなければなりません。

名誉会長: そのためには、「生命」の素晴らしさ、尊さ、無限の可能性を説き明かした哲学が絶対に必要です。先ほど戸田先生が“牢で経典を読まれた”話をしましたが、先生の「獄中の悟達」の焦点も、そこにある。

須田: ここでは、その「獄中の悟達」の意義から、うかがいたいと思います。

遠藤: 私は、高校生の時に、聖教新聞に連載されていた池田先生の小説『人間革命』第四巻、「生命の庭」の章を読んで、初めて戸田先生の悟達について知りました。
戦時中の拘置所の中で、すさまじい気迫で法華経の真髄を求め抜かれた厳粛なドラマ。法華経について、ほとんど何も知らなかった私の心にも、深く残りました。

名誉会長: 一言でいえば、戸田先生の悟達は、創価学会こそ日蓮大聖人の仏法の継承者であることを明らかにした、記念すべき瞬間です。
今日の広布進展の原点であり、仏教史上、画期的な出来事であったと、私は確信しています。
難解な仏法を現代に蘇生させ、全民衆のものにしたのです。
私も、若き日、戸田先生から直接、その内容を聞かせていただいた。学会の宗教的・哲学的核心が、ここにあると思った。
それはそのまま、日蓮大聖人の仏法の極説に通ずる。
戸田先生の悟達は、人類の行き詰まり打開への「道」を開いたと、私は信じている。この「道」を、あらゆる次元へ広げていくのが弟子の使命です。

須田: 法華経身読のドラマは、昭和十九年の元旦、軍部権力の手によって獄中の身にあった戸田先生が、法華経を読み切ろうと決意されたところから始まりました。法華経が、何度宅下げしても、不思議と独房に舞い戻ってきたというのです。
戸田先生が当時読まれたのは、返り点も、送り仮名もない白文の法華経でした。
天台などの解説書もなかった。戦時中の拘置所という最悪の環境のなかだった。牛乳瓶の蓋で作った数珠を手に、一日一万遍以上の唱題を実行されながら、まさに全生命をかけて法華経に肉薄されました。

遠藤: そして、すでに法華経を三回読み返し、四回目に入った三月初旬、法華経の開経である無量義経の難解な文について思索されている時に「仏とは生命なんだ」と覚知されたのです。

名誉会長: 仏法が二十世紀に蘇った瞬間です。