投稿者:ジョーカー   投稿日:2015年 5月29日(金)00時59分6秒     通報
現場でよくある雑な打ち出しも、幹部の配慮のない一念がなせる業ですね。雑なこと自体が悪といっても過言ではないと思いますし、そのように捉えてこそ、会員奉仕の幹部の使命を果たすことができるのではないでしょうか。雑さはやる気を奪い、何のためを忘れさせてしまう。それは、現場のメンバーの軽視であり、甘えであります。心を大切にする団体だからこそ、決して雑ではなく、配慮につぐ配慮がなければなりません。これも意識しなければ気づかないことであり、「自分は配慮できているだろうか」と、常に問うていく必要があります。こういうことは指摘してくれる人は、中々いないのが実情であり、現場のメンバーは我慢しているものです。大半が「言っても無駄」と考えているので、問題がないように見えるだけです。

御本尊の教義変更も同じというかそれ以上に、どれだけ配慮できるかが勝負になります。執行部には、話を聴く姿勢の欠如が窺えるので、当然きめ細かい配慮も出来ないでしょうし、事実出来ているとは言えない。本当に一人の人を大切にする戦いをしてきたのか、疑問に感じてしまうレベルです。はたまた昔はそういう戦いをしていたのかもしれませんが、忘れてしまったのか。私の経験上、幹部になればなるほど、信心がわからなくなる現象があるように感じます。これもまた本人は気づかないことであり、余程自分を律していかないと狂ってしまう。わずかな狂いが大きな狂いとなり、五老僧の如く勘違いしていく。気を付けていきたいものです。