2015年5月30日 投稿者:谷川ひろし 投稿日:2015年 5月30日(土)21時38分34秒 通報 「天鼓の犯人は絶対に報恩社ではない」と言い張り、必死で報恩社をかばっていた佐藤ヒロシだが、 同じ「穴のムジナ」というか、なんというか、報恩社もヒロシも共通しているのは「政治が好き」ということです。 《パートⅠ》で紹介した通り、聖教新聞社を早期退職して「報恩社」に就職して常務取締役に就いた 情報収集担当の竹岡氏は、聖教新聞社の広告局に勤めながら、なんと、自由連合・徳田虎雄の医療法人「徳州会」の理事になっていました。 また、どこかで市長選挙があると、学会票をちらつかせながら、近付いてカネを引っ張ってくるというようなこともしていたそうです。 ある人が、浦安の市長のところへ行った時、市長から「竹岡氏と谷川氏の名刺」を見せられたと言っていました。 そのことをある友人が、谷川氏に伝えたところ 谷川氏は「それが会長に知れたらヤバイんだよね」と非常にマズイ顔をしていたそうです。 また、竹岡氏は「平成12年第42回衆議院選挙」「平成13年参議院選挙」を、当時は豊島区の副区長でありながら、 公明党は支援せず、自由連合の「広報宣伝部長」として活動していました。 さすがに、「参議院選挙で自由連合が皆、落選して、徳田が『学会は全然応援してくれなかた』と不満を漏らしたために、 最近では、徳田と距離をおいている」と佐藤ヒロシが言っていた――と、私の友人は語っていたが、果たして真相はどうなのだろう。 いずれにしても、当時、仏敵との攻防戦を仕切っていたのは、佐藤ヒロシです。 天鼓犯人探しの会議が行われた場で、一番の責任者である佐藤が、何度も報恩社の「北林氏」に会って確認しているが、 「絶対に違う」と言い張って、かばっていた。 なぜ、そんなに報恩社をかばうのか。 もしかして、それが ヒロシ流の仏敵との戦い方だったのかも知れない。 つまり、報恩社のバックは、八尋副会長(弁護士)なのです。 八尋弁護士はこれまで、裏の謀略部隊として、汚れた仕事に報恩社を使ってきている関係で、 ちょっとやそっとでは、切ることは出来ない。 報恩社がベラベラしゃべったら、第2の山崎正友になることは確実です。ヒロシは、そう思っていたのかもしれない。 Tweet