投稿者:ジョーカー   投稿日:2015年 5月28日(木)00時54分35秒     通報

教学部レポートと遠藤文書が怪文書であるほうが実は恐ろしい。根も葉もないデマ文書というのが男子部長の見解のようなので、それはつまり、一連の話はすべてが作り話であり、なかったことを意味します。そうなると、教義変更は極めて民主的な手続きを踏み、懸念の声や反対の声に対しても納得の対話で了承を得たと。先生の意向通りでもあり、拙速でも何でもなく、準備も万端であり、時も熟したと。

結果を見たらどうだろうか。後付け設定のような説明文であり、それも後手後手の対応。なんだかよくわからない、はっきりしないことも多い。少なからず、モヤモヤ悩んでしまうメンバーも現実にいますが、説明もしっかりできない状況。対外的にも仏敵に笑われ放題だが、それに対する対策も練られていない付け焼刃感。こうなることは、普通に考えればわかることであり、拙速な教義変更自体が非常識なわけです。どんなに繕おうとも拙速だったことは否めないわけであり、現実がそれを物語っています。

火を見るより明らかな結果がここにあるのに、それが予測できず、満場一致で教義変更が推進されたとでもいうのであろうか。そうだとしたら、それはそれでどれだけレベルが低いのかとあきれてしまう。遠藤文書で問うていることは、「こんな非常識な教義変更を池田先生が推進することを許可しているなんてどうしても信じられない」ということであり、これが怪文書であったとしてもごもっともな話である。問題が起きることもわからず、これでいけると教学部が太鼓判を押したとでもいうのだろうか。そうだとしたら「無能」の一言である。

怪文書であるというのならば、教義変更の一連の真相を教えてもらいたいものである。そもそも誰が「怪文書」と認定したのか。それも明らかにしてもらいたい。もはや、嘘やごまかしが通用する時代でもなければ、学会員はそれを許さない。どうやら、会員を甘く見過ぎたようですね。なんとも残念なことです。

それと、宿坊の掲示板を「敵」とみなしているようでは見誤りますよ。悪を責める側が悪と言われてしまうのはお門違いであり、まずは責めるべきは悪そのものです。ここは間違えないでいただきたいものである。何事においても、先入観ほど恐ろしいものはないのだから・