投稿者:谷川ひろし   投稿日:2015年 5月23日(土)09時46分23秒     通報

創価学会員であれば、悪を糾弾し「善いことをすること」に熱心でなくてはならない。
「善いことをしないことは悪いことをすることと同じ」である。

そこに創価学会の精神の根本がある。
ましてや善いことをしないばかりか悪を見逃すことなど決してあってはならない。

従って現在、わが和合僧団に蔓延し始めた「事勿れ主義」は「善いことをせず、悪を見逃す」ということであり、
正に創価学会の根本精神に反することに他ならない。それが御本仏日蓮大聖人の仏法に違背することは論を待たない。

国中が国家神道に狂い軍部が国家を壟断していた昭和十八年の七月六日、
牧口初代会長、戸田二代会長は宗教弾圧を受け治安維持法違反、不敬罪で特高警察に逮捕された。

その後、御二人は警視庁の同じ留置場にとらわれの身となっていた。
無論のことながら、共犯関係にある両会長の入れられていたそれぞれの房は、遠く離れていたことだろう。

そのような状況下で起きたある出来事が、妙悟空著『人間革命』の中に書かれている。

「『皆さん、こう黙っていては退屈するから、一つ問題を出しましょう。
善いことをしないのと、悪いことをするのとは、同じでしょうか、違うでしょうか』

厳さんは顔をあげて、声のしている方へ伸びあがった。
(おお! 先生……先生のお声だ! 価値論から問題を出していられる……)

牧口会長から半歳ばかりの間、毎日毎日価値論を聴かされているから、彼は懐かしさに胸が躍り、
この間から、およその方角へ向かって朝夕に挨拶してきた……その方角とほとんど同じであったのも嬉しかったが、
伊藤ハンゲツとは全然人間が違う、あの謹厳な先生が、どのような顔をして大声を出していられるのか……
厳さんは想像して可笑しくなり、くすくす笑った。

(先生は留置場の中でも、教育しようと思っておいでになる……)
厳さんはくすくす笑いながら、両眼に涙が湧いてくるのを、どうすることもできなかった。

牧口常三郎が社会に対する個人の行為を善悪の価値で規定して、
社会に利と美の価値を提供しない者は善いことをしないのであるから、
ただ社会に養われていることになり、悪いことをしていると同じであると痛烈に主張して、
この世の中を美しいものにしようとしていることを知っているからだった」

警視庁の留置場に囚われている人の中には当時のことだから思想犯の人もいただろうが、
多くは無学な悪人だったのではないだろうか。

このような場所でそのような人々を相手に何故に牧口先生がかかる高度な哲学的な命題を叫ばれたのか。
その姿と情熱に比類なき尊さを感ずるものである。

御義口伝に曰く。
「無問自説とは釈迦如来・妙法蓮華経を無問自説し給うなり、今日蓮等の類いは無問自説なり」

私たち創価学会員は、牧口先生の獄中における尊い姿を思い、そこで獅子吼された教えを断じて実践しなければならない。

殉教された牧口先生に始まる、戸田先生、池田先生という三代にわたる師弟の絆によって、
この不思議なる仏意仏勅の団体は築かれた。

そして末法の世に出現したこの壮大なる和合僧団の存在は
釈迦仏の法華経のみならず日蓮大聖人の御金言を実語としたのである。

私たち創価学会員は創価学会の三代にわたる師匠に連なる弟子としての誇りを持ち、
正邪を峻別する知恵を養い、邪悪なものと戦う勇気を生涯、持ち続けなければならない。