投稿者:谷川ひろし   投稿日:2015年 5月22日(金)09時14分56秒     通報

平成八年十月の総選挙は、新進党を擁しての戦いであったが、東京都の同党公明系候補は惨敗してしまった。

このときの東京の総指揮をとったのは浅見副会長である。

浅見副会長はこの選挙の際、新宿区の京王プラザホテルのスイートルーム(一箔八万円)に二ヶ月間居座り、
裏選挙を気取り、次々来訪する新進党議員や子分たちと飲食を共にしていた。

巷では創価学会員が手弁当で必死になって戦っているのに、
浅見副会長は現場の苦労に心を配ることもなく、豪華な部屋でぬくぬくしていたのだ。

このとき殊更頻繁に出入りしていた新進党の公明系国会議員は、東祥三である。

いま東は自由党に残っているが、その当時すでに「自分の師匠は小沢一郎である」と漏らし、
真実の師匠を忘れ創価学会員の献身的な支援活動を踏み台にし、立身出世のみを考えていた。

この東が浅見副会長を持ち上げ、新進党の東京都全候補者を創価学会組織を挙げて支援するように仕向けたのである。

選挙終盤、公明系新進党議員が苦戦していることは各選挙区で十分認識されており、
各選挙区の支援責任者は隣区に対し支援の要請をしきりに行ったが、
選挙総指揮を執る浅見副会長はそれを許さなかった。

東を通して小沢に操られていたことはいまもってすれば明らかなことだが、
スイートルームで美食に溺れ美辞麗句に酔いしれていた浅見副会長は、

冷静な判断をするどころか益々、図に乗り東京都の全新進党議員を当選させると豪語し、
次の如く慢心そのものの発言をしていたのである。

「先生は大阪の選挙で勝って会長になったが、自分はこの東京の選挙で勝って会長になる」

馬鹿げたことだが、取り巻きの子分がこの浅見副会長の言葉を真に受け、
何名かの創価学会幹部に話したから、この噴飯ものの話は創価学会内の心有る人々の耳に入り、
激憤も買うこととなったのである。