投稿者:信濃町の人びと   投稿日:2015年 4月10日(金)13時56分11秒     通報 編集済
きれいごと様、以下をよくお読みください。

余談ですが、名前はだしませんが、約1名がいかに間抜けかもよくわかりますね。
「法華経の智慧」 方便品 より

『一仏乗とは師弟不二の道』

須田
方便品でも、一仏乗はただ「菩薩」だけを教化する教えであることが強調されています。
ここで分かりにくいのは、一仏乗を信解した菩薩と、もとの三乗のうちの菩薩との関係です。両者は同じなのか異なっているのか。異なっているとすれば、どう違うのか。

遠藤
この問題は、中国仏教では、三車家・四車家の論争として知られています。譬喩品では三車火宅の譬えによって開三顕一を説いています。そのくわしい内容は省きますが、声聞乗が羊の車に、縁覚乗が鹿の車に、菩薩乗が牛の車に、そして一仏乗が大白牛車に譬えられています。
したがって、菩薩乗(牛車)と一仏乗(大白牛車)が同じだとする立場は、車が三つだけあることになりますから三車家、違うとする立場は、四つになるので四車家と呼はれました。天台大師は四車の立場です。

池田
いろいろな論じ方ができると思うが、一次元の見方として、こう考えたらどうだろう。
一乗が顕される前の三乗の仏弟子たちは、一応、「師弟の道」を歩んでいた。しかし、開三顕一は「師弟不二の道」を歩むことを教えていると。

斉藤
「師弟」から「師弟不二」へ──それは、どういうことでしょうか。

池田
「三乗」のなかの菩薩は「二乗不作仏」という差別を残した菩薩です。「十界各別」であり、ゆえに菩薩が衆生を救うこともできず、菩薩自身が仏になることもできない。
それに対し、仏の願いは一切衆生を仏にすることにある。師弟の境涯の違いは致し方ないとしても、師と弟子の「心」が、「願い」が、「哲学」が、根本的に違っているのです。
一方、「開三顕一」された後の菩薩は″蘇生した声聞たち″も含め、すべての衆生が平等に成仏できるという「十界互具」の法理に立っている。
そして、この大哲学の上に、すべての人々を仏にしようという大闘争の軌道に入った。そこで初めて、仏が歩んでいるのと同じ道に入った。根本の一念において、師弟が目的を同じくする同志となり、「不二」の道を歩む先輩と後輩の関係になった。そのように進んでいくのが、真の師弟なのです。

斉藤
なるほど、そういう見方ができるのですね。

池田
しかも、現実社会という″海″に飛び込み、民衆一人一人を幸福への″大船″に乗せていく──この戦いにおいては、仏もまた菩薩なのです。大聖人は十界互具を説明されて、「仏も又因位に居して菩薩界に摂せられ妙覚ながら等覚なり」と仰せです。

ともあれ、師の心は「如我等無異」です。方便品に「一切の衆をして 我が如く等しくして異ること無からしめんと欲しき」(法華経一三〇ページ)とある。すべての衆生に、仏と不二の境涯を得させようという慈悲です。

また「諸仏の本誓願は 我が所行の仏道 普く衆生をして 亦同じく此の道を得せしめんと欲す」(法華経一三八ページ)と。同じこの道を歩ませたい、不二の道を会得させたい──これが仏の「本誓願」です。

もちろん、法華経以前の三乗も、仏を信じてついてきた。それなりに「師弟の道」を歩んできたでしょう。しかし、そこには自分は自分、仏は仏という断絶の心があった。師の心を知らなかった。その迷妄を破ったのが法華経です。

「開三顕一」とは、「師弟の道」から「師弟不二の道」へと、弟子の一念、弟子の生き方を、根底から変革させるものではないだろうか。

須田
よく分かりました。先ほど話に出ましたが、舎利弗は一仏乗を聞いて、自分が「真の仏子」であると確信しました。「不二」の意義は、この「仏子」という言葉にも込められているのではないでしょうか。

池田
そうだね。戸田先生は言われていた。「かじ屋の弟子であるから、かじ屋でしょう。魚屋の弟子だから魚屋でしょう。同じように仏様の弟子は仏様でしょう。うまくいっています」「(われわれも)大聖人様の仰せ通り折伏しているのですから、大聖人様の弟子なのです」(『戸田城聖全集』6)と。
また「われわれは仏様の子供です」と、何度も強調されていた。自覚しようとしまいと、「ライオンの子」は「ライオン」です。「仏の子」は「仏」です。他の何ものでもない。ライオンであるという事実、仏であるという事実に変わりはない。それを「自覚」すれば「不二」の道となる。

遠藤
「仏子」とは、声聞とか縁覚とか菩薩とかの立て分けを超えた言葉ですね。具体的な振る舞いは、菩薩だと思います。「仏子」という言葉には、弟子を「不二」の境涯に高めたいという師の慈愛、そして、どこまでも師と「不二」の心で進むのだという弟子の決意が込められているのではないでしょうか。

池田
その通りだと思う。仏にとっては、十界の衆生すべてが「吾が子」です。そのなかでも、妙法を受持した衆生こそが「真の仏子」と言えるでしょう。宝塔品(第十一章)に「(未来の世において法華経を持つものは)是れ真の仏子」(法華経三九四ページ)と説かれる通りです。

斉藤
法華経が滅後のための経典であることを考えれば、「真の仏子」とは、具体的には「地涌の菩薩」を指すといってもよいのではないでしょうか。

池田
そうです。「子とは地涌の菩薩なり父とは釈尊なり」と、大聖人は仰せになっている。師と同じ誓願、同じ責任感、すなわち師弟不二に立ち上がった弟子が「地涌の菩薩」です。そして、「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか」と仰せです。この同意に意味がある。

日蓮大聖人の御誓願を我が誓願として、今まさに広宣流布へ進んでいる創価学会こそ、久遠の使命を担った「地涌の菩薩」の教団です。大聖人と一体の弟子の集まりなのです。

遠藤
しかし、学会員が地涌の菩薩であると、言わせないようにしてきたのが宗門です。「地涌の菩薩」ではなく、せいぜい「地涌の菩薩の眷属」なのだと。

須田
眷属というなら、私たちは日蓮大聖人の誉れの本眷属です。堕落した坊主の眷属などでは絶対にない。

斉藤
だいいち、「皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり」との大聖人のご明言を、彼らはどう拝すのでしょうか。

須田
日寛上人も、大聖人と「不二」の境涯になるのが、大聖人の仏法の真髄であることを強調されています。「我等、妙法の力用に依って即蓮祖大聖人と顕るるなり」(文段集六七六)
「我等この本尊を信受し、南無妙法蓮華経と唱え奉れば、我が身即ち一念三千の本尊、蓮祖聖人なり」(文段集五四八)と。

遠藤
その御精神とは正反対に、「不二」にさせまいとするのが日顕宗です。大聖人の弟子が大聖人と「不二」の道を進むことが、彼らには、よほど都合が悪いのでしょう。

須田
「不二」たるべき師と弟子を、どうしても引き離したい。要は、そのすき間に、自分たちが入り込んで、弟子たちの上に君臨したいのです。大聖人の凡夫即極の教え、それを受けた日寛上人の御教示を、まっこうから否定するものです。

斉藤
「本仏」という言葉さえ、彼らにとっては、自分たちを権威化する手段となっています。大聖人を、凡夫から隔絶した超絶の存在のように思わせておいたほうが、法主をはじめとして自分たちの権威も高まるという邪智です。

池田
大聖人を崇めているようで、じつは大聖人のお心を殺しているのです。最高の「人間尊敬の教え」を、最低の「人間蔑視の教え」に、すり替えてしまっている。民衆を蔑視する傲慢ゆえに、大聖人の説かれた「不二」の道を壊したいのです。

ドストエフスキーは洞察している。「傲慢な人物は多く神を信じますよ。ことに幾分かは人間を軽蔑している人には、それがいっそう著しいです」「原因はきわめて明らかです。彼らは跪拝したくないために神を選ぶのです。(中略)神の前に跪くのは、それほど屈辱じゃありません」(『未成年』米川正夫訳、「ドストエフスキー全集」11、河出書房新社)

傲慢な人間は、人に頭を下げたくないから神を敬う。神に頭を下げるのであれば、自分の傲慢は傷つかず、何ら苦痛ではないからだ──と。

斉藤
この言葉の「神」を、彼らの言う「凡夫と隔絶した御本仏」と置き換えれば、その心理は、より明瞭ですね。

遠藤
彼らがひざまずいているのは、じつは大聖人の教えに対してではなく、自分自身の醜い欲望に対してなのですね。

池田
堕落した人間に惑わされることほど愚かなことはない。要は、見抜けばいいのです。
「師弟不二」こそ法華経の魂であり、日蓮大聖人の仏法の真髄です。その一番大事なものを壊し、切り離そうとする。それが「魔イコール奪命者」の特徴です。

「不二の道」の否定は、十界互具の否定、人間の平等に対する冒涜にほかならない。この一点に、日顕宗の本質が顕れている。

日淳上人は、学会の信仰の基盤は「師弟」にあると、厳然と見抜いておられた。学会の第十九回総会(一九五八年十一月)のために用意された日淳上人の原稿には、こう残されている。

「大聖人は日蓮が法門は第三の法門と仰せられておりますが、誠に此の仰せを身を以て承けとられたのは会長先生(=戸田城聖第二代会長)であります。大本尊より師弟の道は生じ、その法水は流れて学会の上に伝わりつつあると信ずるのであります」と。

須田
重大な御言葉ですね。「師弟の道」と「師弟不二の道」の違いについて、忘れられないのが、池田先生の小説『人間革命』です。戸田会長と山本伸一(=池田大作第三代会長)の「不二」の戦いについて第十巻には、こう描かれています。

「戸田は彼の膝下から多くの指導者の輩出のために心を砕いていたものの、時機はまだ熟していなかった。彼の弟子たちは、師弟の道は心得ていたが、広布実践のうえの師弟不二のなんたるかを悟るものはほとんど皆無といってよかった。不二とは合一ということである。

昭和三十一年の戦いに直面したとき、彼の弟子たちは戸田の指導を仰いだが、彼らの意図する世俗的な闘争方針を心に持しながら、戸田の根本方針を原理として聞き、結局、彼らの方針の参考としてしか理解しなかった。戸田の指針と彼らの方針とは、厳密にいって不同であったのである。師弟の道を歩むのはやさしく、師弟不二の道を貫くことの困難さがここにある。ただかろうじて、山本伸一だけが違っていた」

「その彼の作戦の根本は、戸田の指針とまったく同一であった。不二であった。彼には戸田の指導を理解しようなどという努力は、すでに不必要であった」

「彼は一念において、すでに戸田の一念と合一したところから出発していた」

斉藤
「師弟不二の道」とは、師と同じ心、同じ祈りに立って戦っていこうとすることだと感じます。

池田
法華経の説く「十界互具」こそ、万人の境涯革命を可能にする根本原理です。この智慧を我が身で行い、万年の未来へ伝えていかねばならない。その黄金の軌道こそ「師弟不二の道」なのです。
広げて言えば、どんな事業も運動も、偉大なものは一代では完成しない。後継者が絶対に必要です。

マンデラ大統領に、私は言いました。「マンデラ」という偉材が、ただ一人いるだけでは、あなたの仕事は完結しません。一本の高い樹だけでは、ジャングルはできないように──。(一九九〇年十月に会見。当時、アフリカ民族会議〈ANC〉副議長)

今回の会見でも後継者についておうかがいし、大統領は心配ありませんと自信を示しておられた。
大聖人は「伝持の人無れば猶木石の衣鉢を帯持せるが如し」と仰せです。

法華経の涌出品(第十五章)で、民衆救済の真の後継者である地涌の菩薩が出現したとき、釈尊は、この菩薩たちとの久遠からの師弟不二を明かそうとして告げた。「如来は今、師子奮迅の力を顕し宣べ示さん」(法華経四六三ページ、趣意)と。

大聖人は、末法万年の衆生を救う御本尊を「日蓮が たましひ魂 を すみ墨 にそめながして・かきて候ぞ」と残された。そして御本尊を認められる御一念を「師子奮迅之力」と仰せになられた。

全民衆のために、永遠の人類のために──その魂こそ「師子奮迅の力」である。師から弟子への全力の教育であり、鍛錬です。また「師子」の「師」は師匠、「子」は弟子とすれば、師弟一体となって、奮迅の力で、「人類の境涯を変える」戦いをするよう、法華経は呼びかけているのです。