2015年4月5日 投稿者:河内平野 投稿日:2015年 4月 5日(日)11時52分34秒 通報 ここで、御聖訓を拝したい。 私が執務する机には、関西女子部の皆さんから届けていただいた、 手作りの「三百六十五日『幸福勝利』日めくり御書」が置かれている。 その一つに、南条時光の父親に対して送られた「南条兵衛七郎殿御書」の一節が記されてあった。 「どのような大善をつくり、法華経を千万部も読み、書写し、一念三千の観念観法の道を得た人であっても、 法華経の敵を責めなければ、それだけで成仏はないのである」(御書一四九四ページ、通解) 法華経の敵と戦わなければ、成仏はできない。 この烈々たる破折の魂、破邪顕正の精神こそ、日蓮大聖人の仏法の生命である。 いかに時代が変わろうとも、この根幹は、いささかたりとも変わってはならない。 ここに、学会精神の真髄があるからだ。 この精神を忘れた、格好だけの人間、戦わない人間が、幹部のなかに多くなると、 組織は沈滞し、分裂する。衰亡の坂を落ちていく。 広宣流布のために、いちばん、戦っているのは、真剣なる婦人部の皆さまである。 戦わなければ勝利はない。戦わなければ仏になれない――この一点を、とくに男性の幹部は心に刻むべきだ。 この厳粛な方程式をわかつて、真剣に行動する人こそ、本当のリーダーである。 アインンュタイン博士は述べている。 「偉大な精神の持ち主は常に、二流の精神の持ち主からの暴力的な反対に遭遇してきた」 (アブラハム・パイス『アインンュタインここに生きる』産業図書) 卑劣な悪人に攻撃される。それは、偉大な精神に生きる証なのである。 末法は、「闘諍言訟」の時代である。思想が乱れ、善悪がわからない。 そこに正義を打ち立てるには、言論闘争に徹するしかない。 日蓮大聖人は、その闘争の一切に、断固として勝利する道を教えてくださった。 熱原の法難の渦中、弟子に対して厳然と仰せである。 「あなた方は、恐れてはならない。いよいよ強く進んでいくならば、 必ず、正しい経緯が明らかになると思います」(御書一四五五ページ、通解) 戦いを決するのは、「智慧」であり、「勇気」であり、「忍耐」である。 そして邪悪を打ち破る「攻撃精神」を忘れてはならない。これこそ学会の生命である。 日蓮大聖人は折伏の大師匠であり、学会は折伏の団体であるからだ。 破折の精神――これだけは学会草創期と変わってはならない。 いな、大聖人の時代と寸分も変わってはならない。 「勝利」とは「幸福」の異名であり、「幸福」とは、「戦い勝つこと」だからである。 「戦い勝ちぬく人」こそが、菩薩であり、仏である。 「信心」は、「勝利」と「幸福」のためにある。 妙法を根本に、祈り、戦い、進んでいくかぎり、断じて行き詰まりはないのである。 【池田大作全集第九十八巻 (総東京代表協議会 )】2005.4月 Tweet