2014年12月6日 投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2014年12月 6日(土)09時01分59秒 この客の思想の根底には、政治が「主」で、宗教は「従」という考え方があります。客とは、為政者になぞられているから当然かもしれませんが、こうした考え方は、現代社会においても当然のように考えられています。たとえば「政治体制を変革しなければ、民衆の幸福はない」という議論です。その底流には、宗教や思想を単なる気休めや、精神修行ぐらいにしか考えない思想認識の無智です。 「体制が優先だ」という人は、政治や体制によって戦争を絶滅し、犯罪を減らし、 真実の恒久平和と民衆の幸福を実現する確信があるのでしょうか。 そんなものは、考えなくても過去の歴史を見れば惨憺たる有様です。 しかも、いつの時代も、どの国の民衆も、平和を望む心に変わりはありません。 それなのに独裁者の野心と権力の前に、民衆はいつも惨めに屈服し、 恐怖が渦巻いて戦乱のなかに自滅していきました。 戦争を憎み、平和を渇望するのも人間の心です。 戦争を起こし、戦争で利益と名誉を願うのも、また同じ人間の心です。 そう考えると、この人間の心を動かし、悪思想を追放し、民衆の英知の団結で、 すべての人間の幸福を勝ち取っていく世界平和の実現は、法によって決定されていくのです。客の最後の言葉として「もし、そのような災難を防ぎ、国家繁栄の術があるならば聞きたいものである」――と。 これを聞いた主人は、何と答えたのでしょうか。 それを最後に見ていきたいと思います。 Tweet